2.《ネタバレ》 あら、意外と低評価ですね。 私個人としては、とても良い作品だと思いました。
マイナスポイントは、終盤のシーンです。 10年前の出来事に対して説明が必要だったのは解りますが、この独白で、 かえって純一自身の冷たさや弱さが際立ちました。 あんなに純一に対して一途で献身的な友里に対し、冷たい態度ばかりとるなんて…。 友里の優しさや強さに、少々甘えすぎでは?と感じました。 しかもあの瞬間に目覚めるなど、あまりにもタイミングが良すぎだと思い、マイナスとしました。
しかし、それでも好評価なのはそれなりに理由があります。
死刑囚160番、寺田は最期に言います。 「ここに向かう途中で見たタンポポがとても綺麗でした」と。
恐らく、拘置所内にはタンポポなど咲いていないのではないでしょうか? 仮に咲いているとしても、死刑執行目前の受刑者の目には、決して触れない場所のはず。 だから南郷には、寺田の言葉の意味がずっと引っ掛かっていたのでしょう。
タンポポの花言葉には「真心の愛」「神のお告げ」「愛の信託」「思わせぶり」「別離」 などがあります。 恐らく寺田は、最期の道々で「神のお告げ」に巡り逢ったのではないかと思います。 もっと言えば、自分の最期が南郷に託される事を予見していたのかもしれません。 だからこそ寺田は、唯一最期の言葉を南郷へ向けたのでしょう。 刑務官としての南郷たちの「真心」に感謝し、さようならという「別離」の言葉を、 「思わせぶり」な言葉で伝えたように、私には思えたのです。 (勿論、寺田がこうした意味のすべてを知っていたとは思いませんが) だからこそ寺田は、怖がらず、足掻きもせず、胸を張って逝けたのでしょう。
そして、最後にタンポポが押し花にされていたのも、純一と南郷の別離も意味し、 また同時に夫婦や家族としての愛の再生も意味していたと思います。
「生きる」という事とは「失敗と再生の繰り返し」。 臭いものに蓋をして現実から目を背けて続けていては、愛にも、真実も、救いにも、 一生辿り着けないということなのでしょう。 しかし、その辛く厳しい過程を辿ると心に決めた時こそ、手を差し伸べてくれる人や 傍に居てくれる人が、この世にはいるのだ…と、不動明王様は教えて下っている。 私には、そう思えました。
この映画自体も思わせぶりでしたが、こういう思わせぶりならたまには良いものです。 |