10.実験的な意欲作だとは思うのだが、見方によっては出来損ないの日活映画のような感じもして、パンチ不足のような。外人監督でも違和感なく撮れているという事なのかもしれないが。 |
9.おそらく、時代色が出すぎた映画。人物の心情などは、戦後14年という時点でなければ理解できにくいものではないでしょうか。ということで歴史的意義はあると思いますが、60年後に鑑賞に耐えるほどの普遍性はないと思います。もはや、当時の広島の風景が見られるということが、一番のとりえでしょう。 【アングロファイル】さん [CS・衛星(字幕)] 5点(2018-04-29 20:22:17) |
8.回りくどい演技に面倒臭い会話。悲惨な出来事に向き合っているようにも見えますが、もうちょっと寄り添う気持ちがあってもいいんじゃないですか? 【ProPace】さん [CS・衛星(字幕)] 3点(2018-04-04 22:10:16) |
7.ヒロシマとヌヴェールを象徴的に扱うが、抽象的でもあり実験的な映画。 でもさすがにこれは賛否が分かれると思う。ハマるかどうかはその人次第。 【simple】さん [CS・衛星(字幕)] 4点(2018-02-03 20:48:49) |
6.何がしたかったのかよく分からないのですが・・・寓話的・象徴的にいきたいのであれば、現実そのもののデモ行進のシーンなど出すべきではないし、「性」と「生」を絡めて退廃的にいきたいのであれば、もっと「情事」の部分がきちんとしていなければならない。つまり、全体としてフワフワしていて、いろいろと中途半端なのです。「ヒロシマ」はネタにすぎなかったのか、とさえ思ってしまいます。 【Olias】さん [CS・衛星(字幕)] 3点(2018-01-29 23:40:12) |
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5.ヒロシマモナムールというタイトルに惹かれて鑑賞。 序盤の被爆直後のシーンにおいては、これ記録映像なのかなと思えるほど目を背けたくなるほどリアルでツライものでありましたが、そのツライ映像というか画像は初めだけ。 話はすぐに行きずりの女と男の二十四時間の情事、そして女のツラい過去が一方的に明かされ、その女と一夜限りで別れたくない男が最後まで絡んでゆくというドラマに変身。 最後こそ、女がヒロシマの街を彷徨い、タイトル相応の行動を起こしてはくれましたが、これ、 実のところはヒロシマ・モナムールではなく タイトル、ヌーブル・モナムールのほうが正解なんじゃないかなとか思えて終焉。 反戦映画に対して そんな思いを持ってしまった事が間違った見方なのか 別に間違ってはいないのか 答えは出て来ませんが、 実際のところは『ヒロシマ、わが愛』というよりも 『ヌーブル、わが愛』 そう強く感じてしまった。それが素直な感想とさせていただきます。
以下は、直リンするかどうかで大いに悩みましたが、直リンさせてもらう事にしました。 私はネット上で拾ったこの方の解説と解釈と思いにすごく救われました。 気になられた方は是非とも目にしてみてください。 以下はその方の(たぶん個人)ブログです。 ↓ http://tetsu-eiga.at.webry.info/201408/article_23.html
(アラン・レネとマルグリット・デュラスは「ヒロシマ」をどう捉えたのか)
PS.私はこの方とこの方のブログに敬意を称します。 (プロフィールから察するに、現在70歳~80歳近くになられている方のご様子です) 【3737】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2017-08-13 10:44:03) |
4.全編を通して芸術性を感じられる、フランス映画らしい作品。 主人公の男性が日本人というところも感情移入できて良い。 フランス人女性との恋が戦後間もない広島を舞台に描かれるが、意外と違和感を感じない。 上映時間は短いが意外と長く感じられるのは、セリフ以外にも俳優の表情が豊かなせいだろうか。それにしても、点数が付けづらいのがつらいところ。 【mhiro】さん [CS・衛星(字幕)] 6点(2011-01-14 22:11:31) |
3.普遍的な映像美をもった作品です。冒頭の男女が肌を重ねるシーンもきれいですし、上半身の肌の重なり合いだけ(下着が描写されない)なので古くささを感じさせません。背景は50年前の日本なので実際古いのですが、白黒作品であるということと、男女の顔のクローズアップが多いのでこれも時代を感じさせない要因になっています。また、フランス女性は顔の作りが日本人に近いので、岡田英二さんと共演しても大きな違和感はありません。ただ、フランス人女性側のそれまでの人生は描かれていますが、日本人男性側の人生がまったく描かれてないのがちょっと不満です。日仏合作とはいえ、フランス人脚本監督のあくまでフランス映画ですから、大戦でドイツに蹂躙されてそこから解放されて10年ちょっとのフランス人の気持ちになって鑑賞するといいのかもしれませんね。岡田英二さんは行きずりの日本人男性という設定で良かったのかな。ちょっと、モンティ&ジェニファー・ジョーンズの終着駅を思い浮かべてしまいました。8点つけようとしたんですが、ラストがやや唐突な気がしたので一点減点。でも、メディアが変わっても消滅しないで引き継いで欲しい作品です。 【ひよりん】さん [DVD(字幕)] 7点(2008-02-10 09:45:37) (良:1票) |
2.岡田英次はこういう二枚目路線よりも、もう少しズレた感じの2.5枚目がいいんでないでしょうか。 具体的に言えば、『砂の女』で惨めに奮闘する学者役ですとか。 【にじばぶ】さん [ビデオ(字幕)] 3点(2007-10-14 17:34:23) |
1.「きみはヒロシマで何も見なかった、何も…」と、情事のさなかに、歩きながら、料理屋で、ただくり返す日本人の男。それに対して、「私は見たわ」と同じくくり返す、フランス人の女性ジャーナリスト。男にとって”原爆”の悲劇とは決して「語り得ないもの」に他ならない。何故なら、それは「世界の終末」そのものであり、それを「見る=体験する」ことは、「死=無」そのものなのだから。しかし、女の方にも、戦争中に敵側のドイツ兵を愛し、その男の死とともに彼女自身の「魂の死」を体験した”過去”があったことを、観客は知らされる。永遠にすれ違ったままの、ふたつの「虚無」…。これはまさに、アラン・レネの映画というよりも原作・脚本のマルグリット・デュラスの作品と言うべきでしょう。その短い、そして暗示的な会話の積み重ねを通じて、ヒロシマとフランスの地方都市のふたつの場所で繰り広げられた「魂のホロコースト」が浮き彫りにされていく。その語り口の、なんて”崇高”なことなんだろう! …と、初めて見た時は深く深く感動したものだった。でも、その後にデュラス自身による映像作品『インディア・ソング』なんかを見るにつけ、このレネ作品すらもがある種の”通俗さ”が免れていないことにがく然としたワケで…。それでも、未だにぼくにとって、これは映画史上最も美しい恋愛映画のひとつだと信じております。(ひとつ、これは余談ですが、リチャード・リンクレーター監督の『恋人までの距離(ディスタンス)』って、絶対この映画の影響を受けてますよねっ!) 【やましんの巻】さん 9点(2003-11-17 13:51:48) (良:2票) |