4.《ネタバレ》 夫婦の倦怠をコミカルに描いてはいるけども(小津作品独特の短い言葉の応酬が実に作風にマッチしている)、中身はかなりシビア。鈍感だと思われた夫は実は何もかも知っていてあえて何も言わない。心が広いと感じる方が多いだろうけど、諍いが面倒くさいだけ。無関心に近い。妻にとっては鈍感なほうがまだ救われる。もうどうにもならないところまでいったかと思ったら、あることをきっかけに仲直り。「夫婦はお茶漬の味」という夫にとっての理想が傍目には実現した瞬間。妻が「ごめんなさい」。夫が「わかればいいんだよ」。妻が一方的に歩み寄ったにすぎない。この時代、離婚による損害は女のほうが大きいのだ。かといってそれだけで仲直りをしたと言っているわけではない。離れて気づくことがあったのかもしれないし、仲良くしたほうが楽だと思ったのかもしれないし、とにかくこんなことの繰り返しが夫婦なのだ。とこの映画は言っている。見合いを否定し恋愛結婚まっしぐらの様相を見せる姪っ子もまた同じようなゴタゴタを見せてくれる、そんな未来像を予感させるシーンで締めているのも巧い。 【R&A】さん [DVD(邦画)] 7点(2007-06-20 14:25:05) (良:2票) |
3.「淑女は何を忘れたか」に続く倦怠夫婦リフレッシュもの第二弾。「淑女は・・・・・・・」に比べるとだいぶ無駄を削ぎ落とし洗練され、より奇妙な滑稽味を湛えている。「リフレッシュ」と言ったのは、この作品がこの夫婦間に於ける問題が根本的に解決されぬまま、単なる仕切り直しで終ってしまっているからだ。また性懲りも無く同様の馬鹿馬鹿しいトラブルがコレからも繰り返されてゆくであろうと、小津の目は絶望的なまでに冷徹だが、ここには冷笑的な皮肉は無い。滑稽があるだけだ。この妻の不満、というか不安は、気儘放題が許されているが故に根本的な所では夫から放ったらかしにされている事から発生しているのだが、夫の方では、自分は十分に妻を愛しており、このすれ違いは単なる趣味嗜好、或るいは育ちの違いからくるのだと暢気に考えている。そして、何故、もっと気安い打ち解けた関係になれないのかと訝しんでいる。この夫婦に欠けている物は何か?それは、深夜に二人が普段滅多に入らない台所に入りお茶漬けを食べる為の支度をするシーンに示唆されている。ぎこちない二人だけの共同作業に於いて二人が新鮮で初々しい幸福感を得る感動的なシーンである。しかし、この事の意味は二人に明確に自覚されていないので改善の契機とはならず、従って相も変わらずすれ違った儘だ。にも拘らず夫は自らの理想の夫婦像が妻にやっと理解されとばかりに「夫婦はお茶漬けの味なんだ」とか言ってご満悦だし、妻の方は妻のほうで可愛い妻に成れた積りで周りにおのろけを言って喜んでおる。なんて高級な洗練されたユーモアーであろうか。お茶漬けの気安い味わい深さは、こうした滑稽なすれ違いのくり返しの上に於いて醸し出されるのであり、夫婦は常に滑稽な危うさに満ちている。その辺を小津は意味深に暗示はせずに爽やかに描いている。しかも馬鹿馬鹿しいまでのオチで不気味ですらある。そして映画は新たな、これまた妙にちぐはぐな若いカップルの誕生を暗示して終る。またもや「くり返し」である。 【水島寒月】さん 7点(2004-05-19 12:32:05) (良:2票) |
2.《ネタバレ》 とにかく平坦で不自然な会話が延々と続く作品。ドラマの動きを感じられたのは、急に予定が変わって帰宅した夫に対し、もじもじ話しかける妻の姿くらいでしょうか。で、そこで2人で台所に消えていき、そのまま次のカットは食卓でお茶漬けをすする2人でエンドマーク、とかだったらよかったのですが、なぜかそこからもダラダラ続いてしまいました。 【Olias】さん [CS・衛星(邦画)] 3点(2018-10-17 00:24:38) (良:1票) |
1.戦後の小津作品の中では人気が無い方だが、僕は一番好きだ。なんと言っても左分利信!淡々として表情を全く変えず、何も考えていないように見せて実は全てを了解している。渋い。最後仲直りした二人が黙って向かい合ってお茶漬をすする有名なシーンは小津の全フィルムの中でも珠玉のカット。もう一つ僕の好きなカットは、修善寺の温泉宿で、画面の手前左側に急須を置き、四人の女性が奥行きを使って絶妙に配置する場面。後ろの障子に映る庭池に反射した光の揺れといい、あの画面構成は完璧。パチンコ、競輪など、小津の戦後作品としてはかなり通俗的な要素を扱っているためかあまり評価されないが、もっと語られるべき作品。 【藤村】さん 8点(2004-02-12 20:28:12) (良:1票) |