4.《ネタバレ》 《実話》この映画、実はTVで偶然オープニングを飛ばして観始めたんですよ。つまりタイトルも原作者も知らずに。そしたらセントバーナードがウサギを追っかけてる光景で、てっきり「おっ?ディズニーの動物モノかぁ…。ま、たまにはこんな”ほのぼの”動物映画もイイかな?」と信じ込んでしまいました。「おやおや?穴の中に首を突っ込んだらコウモリに鼻を噛まれちゃったゾw。ドジなワン公だなぁ。」「今度はお母さんと少年の登場か。きっとワン公と微笑ましく絡むんだろーな」「おっと奥さん、いきなり不倫ですか…?ディズニー作品にしちゃ随分と大胆な。」「エンストですか。困りましたねぇ~。でもきっとあの犬が助けを呼びに行くか何かしてくれるんじゃ?」→「ヲイヲイやばいよ、セントバーナードよだれ垂らしまくって完全にイッちゃってるよ、オイ~!!」ズギューン!射殺!!めでたしめでたし…「何じゃぁぁぁぁぁ、こりゃぁぁぁぁぁ!!!!!」以上…。※教訓:映画はキチンと最初から観ようね。 【へちょちょ】さん 5点(2003-11-06 03:50:28) (笑:4票) |
3.凶暴化したのが、チワワだったらなんてことないと考えてしまう。セントバーナードは怖いな。日本なら土佐犬。 【ロカホリ】さん 5点(2003-10-31 00:52:00) (笑:2票) |
《改行表示》 2.原作至上主義ですから低得点なのです。この話、ホラーじゃないんです。恐怖じゃなく、絶望がテーマなんです。そこがわかってないから、ラストがあんなになっちゃうんです。特に今じゃ、キングが書いたラストを無視して原作以上の重圧感を引き出した『ゴールデン・ボーイ』という傑作があるので、無難なあたりに落とした本作の価値はなおの事激減しちゃったのです。 ぶっちゃけ、奥さん視点で描きすぎ。確かに、あまり窓から見えないクジョーは恐怖ではありますが…小説はそれで良かったけど、映像化するならクジョー視点(つまり車の外のカメラ)を増やすべきだったと思うっす。もうひとつは、旦那さん側の物語があんまり推理小説してない点がまずい。原作が持っていた「二つのジャンル《ミステリー》×《不条理パニック》という組合せが、どこまでも平行線を走って行く恐ろしさ」…これがない。小説での絶望感は二人が別の物語世界にいるために起こるものです。そこの原理を無神経に無視したんじゃ、狂犬クジョーの魅力も半減ですわ。 …とは言え、映画館で始めて観た時は感動したんですよ。それまで製作されたキング映画で、最も原作のムードに近かったからです。主人公一家の食卓にエーワンソースなんかの調味料がゴチャゴチャっと乗っかってる、普通さ、さりげなさ。この普通世界が捻れて行く所に、他のホラー作家が描かないキングの恐ろしさがあります。そういう意味ではかなり気を配って作られた映画でした。同時に、小説では膨大な文章を必要とする「普通の」生活描写を、さりげないワンカットで済ませてしまえる映画というメディアの性質が、「キングの原作は加工しないと映画らしい魅力を出せない」という大問題を教えてくれたワケですが…。 だから、クジョーにもっと「語らせる」べきだったと思うんです。『シャイニング』で、ニコルソンが狂った後も親父視点が多かったのは、キューブリックなりの計算の結果じゃないですかね。ま、オイラは『シャイニング』は『クジョー』より評価してませんけどね…。 【エスねこ】さん [映画館(字幕)] 4点(2006-05-20 05:00:26) (良:1票) |
1.原作小説と映画化作品を比べるのはルール違反と知りながらも、さすがにこれだけは落胆以外の何物も見出せなかった。スティーブン・キングの作品としては1、2を争う怖さを誇る原作だが、文章から喚起される想像の世界の恐怖感が、映像化されるといかに陳腐化してしまうかの見本を見せられているよう。もちろん仕方のないことなのだろうが、他のキング作品が比較的まともな映像化のされ方をしているだけに、もうちょっと何とかならなかったのかという疑問は残る。様々な不幸な偶然が積み重なって行く経緯に面白さがあるはずなのに、セントバーナードの巨大さだけが不自然にクローズアップされてしまい、しかもサメだのワニだの過去の映画に登場した巨大化生物と比べるとイマイチ中途半端な巨大さであるために、何をどう怖がったら良いのかわかりづらいという混乱を招いたように思う。B級ホラーとしてもせいぜい中の下レベルの映画だが、残念ながらB級に絶対的に必要なキッチュさも感じられない、箸にも棒にもかからない作品となってしまった。何にしても正しい目標レベルの設定は必要だと思う。 【anemone】さん 4点(2003-12-13 12:35:51) (良:1票) |