8.寂しさの根拠が薄弱で、ただ意味も無く、寂しい寂しいの連呼を聞かされてるような映画。淡々としてる映画は嫌いじゃないけど、主人公に魅力を感じられなかったんで、ただ退屈なだけ。ここまで退屈だと「東京は変だ、日本人はおかしい」と笑いものにされている感じでだけが残ってしまう。何億も貰う仕事で、その仕事っぷりはないだろうとか腹も立ったり。これがアカデミー脚本賞とはね。 【MARK25】さん [DVD(字幕)] 1点(2006-04-24 20:33:43) (良:1票) |
7.日本が舞台であるのが話題にあがりやすいが、この映画は叙情詩である。日本や東京はそれの舞台でしかない。異文化と孤独感(孤独ではない)を前に、主人公二人の間にあるのは友情なのか愛情なのか。言葉にはしがたい、とても繊細な感情。ソフィア・コッポラ監督はそんな繊細な感情を描ききっている。いい意味で末恐ろしい監督だと思った。 |
6.《ネタバレ》 この映画の2人の主人公の間にはいくつかの大きな断絶がある。まず年齢の断絶。そのためなのか、おそらく最後まで二人は互いを性的な存在として意識しなかったと思う。それと身長の差。シャーロットの背が低すぎるというハリスの言葉どおり、傍から見ても二人はかなり不似合いである。もちろん、互いに既婚者という制度的な制約もある。あとは時間の制約。二人とも東京にいつまでもいる訳ではない。帰国すればお互いに別々の場所に住んでいる。ハリスは大人だから、シャーロットは哲学畑の人だから、あらゆることに距離をもって接することに慣れている。二人の間の断絶は、一瞬だけ乗り越えられ、再びその断固とした姿を現わす。この監督はその一瞬を鮮やかに映している。二人が一瞬放つ光の後ろには、完全に個々の人格の匂いを消され背景化した日本人たちが闇として群がっている。 この映画はいろいろなことを聞かせてくれた。 【wunderlich】さん [ビデオ(字幕)] 7点(2005-05-03 11:48:09) (良:1票) |
5.うーん。最初のスカーレット・ヨハンソンのお尻は良かったんだけどなあ。何か、短編映画でも良かったものを日本のエキゾチックな映像(外国人にとっての)とホテルでウダウダする二人のシーンをダラダラ入れて無理に普通の映画の長さにしたという感じ。それにソフィア・コッポラの経験が相当反映されているらしい登場人物二人も、要は家族もいて本来なら幸せな筈なのに何だか不安で自分の居場所がない感じって事でしょ?そんなん、寂しいモン同士で傷を舐め合ったって解決しないぞ。ちゃんと自分の中の「孤独」と向かい合わなきゃ、と画面に向かって説教したくなってしまった。あと、映画に登場する日本人の描写に関しては別に文句はないけどさ、そこで切り取られた日本の風景がいかにも「大都市TOKYO」なトコといかにも「エキゾチック・ジャパーン」な京都ってのがなー。どうせならあんなお洒落ぶったストリップバー(?)とかカラオケボックスとかじゃなくて、浅草ロック座とか新宿ゴールデン街とかに行けば良かったのに。確か上野の方には外国人バックパッカー用の安い民宿とかもあるし、そういうところの方がよっぽど刺激的でスリリングだと思うぞ。ま、良いけどさ。あ、そうそう、意地悪なアメリカ人に「どうして日本人はLとRの区別ができないの?」と言われたら「言語にはそれぞれ発音の体系というものがあって、それから外れた発音の仕方はなかなか体得できないものなのですよ」と丁寧に教えてあげるか、それがメンド臭かったら「アメリカ人だって“カラオケ”って発音しないで“キャリオーキィ”って言うじゃん。あんまし自分たち中心で物事考えてると、知らない内に嫌われるぞ」と言ってあげると良いと思います。 【ぐるぐる】さん 6点(2005-02-11 17:38:28) (良:1票) |
4.《ネタバレ》 この映画に出てくる日本人を見ていて妙にみかついた人もたくさんいたのではないでしょうか?しかし残念。これが日本人なのです。つい先日、普通に道を歩く外人に対しおそらく修学旅行中の学生たちが「ぴくちゃー、ぴくちゃ-!」とわめきながら勝手にその人たちの写真を撮ってそのままどっかに行ってしまいました。残された外人の旅行者たちは唖然としながら一言、"What was that?(なんだあれは!?)"。代わりに謝罪いたします。すみませんでした。 「キルビル」みたいな日本人像は問題外ですが、この映画の日本人描写は巧妙かつ確かなものです。英語をしゃべれない人ほど「通じればいいねん」とか「ジェスチャーだけでも大丈夫」とか言いますが、そういう人が実際英語をしゃべらないといけない環境に置かれるとこの映画の日本人のようになります。作中、何度自分が映画の中に入って代わりに通訳してあげたいと思ったことか。と、まあ日本人批判が長くなってしまいましたが映画自体は素晴らしいの一言に尽きます。日本の中心地「トウキョウ」の繁栄の裏に隠された空虚さが滲み出ています。オレ自身、急に時間が空いて東京を一人でぶらつく時間があったことがあるのですが、全てがあるようで何もない街です。少し街を歩いてもうあとは明治神宮で時間をつぶしました。そのぐらい東京という街はからっぽです(東京にお住まいの方すみません)。そしてそんな空虚さを映画で表してくれたのが日本人ではなく海の向こうからやってきたソフィア・コッポラという名の映画監督だというこの皮肉。それだけでも充分面白い作品だと思います。日本という土地で自分自身を見つめなおすシャーロットとボブにならって、私たちも日本人として自分を見つめなおしたいものですね。強くそう感じた作品でした。 【TANTO】さん 8点(2004-12-09 18:04:55) (良:1票) |
3.お互いに分かり合っているのか、いないのか、悲しいかな、何となくで、生活は出来てしまう。何と適当に生きていることだろうか。本当に伝わったかどうかより、自分自身で伝わったと思い込むことによって、しばしば私たちは、納得しがちである。コミュニケーションが取れない異国での、男女の交流。微妙なタッチで二人の関係は描かれている。恋愛映画だと私は感じた。セックスも愛の言葉もない。でも見ている側は感じることが出来る。二人の微妙なしぐさや会話の中には、心の交流が見て取れるのだ。「愛してる」なんて台詞は出てこないが、二人の間には愛が存在している。[言葉],コミュニケーションの上でこれほど重要なものはない。しかし間違えてはいけない。言葉は言葉単体で成り立っているものではない。同じ「愛」という言葉でも、使う人、場所、状況、によって、違ってくるものだ。昨今は違う言語の人とはもとより同じ日本人でもコミュニケーション取れているのか不安になることがある。大事なのは言葉の裏側の感情なのだ。悪く言えば地味であいまいな映画。でも私は大好きだ。どんな激しい恋愛劇よりも、心に迫るものがあった。アメリカ人が撮ったとは思えない。むしろ日本人が撮ったような印象を受ける。上質。 【K・T】さん [映画館(字幕)] 8点(2004-08-20 17:12:01) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 私はアクションや映像に派手さがない映画はあまり映画館で見ない方で、今作のように静かな映画はレンタルで済ませる場合が多い(映画ファン失格ですね・・・) だが、この映画はレンタルまで待っていられず、どうしても映画館で見たかった。ここのレビューでの賛否両論(?)は知っていたし、見る前からあまり期待もしてなかった。だが、この映画にはなぜか不思議な魅力を感じ、どうしても早く見たかった。見てみたら案の定、どうってことない映画だった。アカデミー脚本賞を獲ったというので、予想も付かない展開や伏線バリバリのストーリーを少しは期待したが、大した事ない出来事が淡々と続いてるだけ。こってり豚骨ラーメンと思って食べてみたら、さっぱり塩ラーメンだった感じ(笑) 脚本賞よりもやっぱりビル・マーレイにアカデミー賞を獲って欲しかったなぁ~~。あの「味のある無表情」がなんとも言えない。素敵な役者だ。あとスカーレット・ヨハンソンも素敵。あの美しさは反則です。だけど映画本編は、アメリカ人が見たら面白いだろうけど、日本人の私にはイマイチでした・・・。逆に日本人がアメリカンカルチャーに触れる映画を作ったら面白いかも。と、不満を募らせていたら、最後ビル・マーレイとヨハンソンが再会するシーンで私はなぜか胸が熱くなった。お互いに住所も電話番号も知らない。おそらくもう二度と会わないであろう二人。まるで、アン王女とジョー・ブラットリーみたいだ。見終わった後も「ローマの休日」のような切なさと爽やかさがあった。あのラストシーンのおかげで私の不満はエンドクレジットが終わる頃にはほとんど消えていた。 |
1.変な日本人像が出過ぎ。ソフィアコッポラだから我慢しようと思って覚悟していたが、無理。腹が立った。翻訳家が映画のコンセプトを理解しておらず、おそらくビルマーレーが自分の嫁の若い頃の裏側をヨハンソンとかぶらせている本来の脚本の意味も分からない可能性が高い。日本の映画関係者は、広告面も製作協力面も二度とこんなヘマをしないでほしい。 【セクシー】さん 0点(2004-05-04 22:10:32) (良:1票) |