4.若尾文子様は大当たりやけど、それ以外はほとんどハズレの店やないか。 【ケンジ】さん [DVD(邦画)] 5点(2014-06-17 22:03:56) (笑:1票) |
3.女5人それぞれの全く異なるキャラクターを描き分け、5人ともがそれぞれのカタチで社会に翻弄されてゆく姿を見せてゆく。赤線が舞台というなかで、最も肌を露にする京マチ子にも人気ナンバー1の若尾文子にも艶っぽさは見当たらない。ところが病気の夫と赤子を抱えて疲れきった表情をして生活臭がプンプンのうえにあえてメガネをかけさせて艶っぽさを排除したかのような木暮実千代が妙に艶っぽい。『祇園囃子』のような艶っぽさじゃなくてもっと生々しい艶っぽさ。結婚を決意して赤線から逃げ出そうとする女に対し、木暮実千代の夫が「こんなところに帰ってくるなよ」と送り出すのはいいが「こんなところ」「最低の場所」といった言葉が執拗に繰り出される。自らの病気のためにその最低の場所に女房を働かせに行かせておいて。病気とはいえ、なんとも身勝手で情けない男。ラーメン屋のシーンでも二人の立場が象徴的に描かれている。5人ともに降りかかるそれぞれのドラマがきっちりと描かれ、その一つ一つが当時の社会と女性の立場を露にしているのだが、溝口監督はその中でも木暮実千代のシーンを重要視して撮っているような気がしてならない。それほどに木暮実千代は誰よりも不幸なドラマを持たずして誰よりも不幸な境遇にあり、誰よりも現実に生き、誰よりも強く描かれている。だから艶っぽくて美しいのだと思う。溝口健二の遺作。溝口の現代劇をもっと見たかった。 【R&A】さん [映画館(邦画)] 7点(2008-03-05 12:57:30) (良:1票) |
2.溝口映画を観ていると、他人の生活の中に自分がまぎれこんでじっと覗き見しているような気分になります。例えば押入れの中とか箪笥の中にこっそり忍び込み、じっとそこで繰り広げられるドラマを覗き見しているような。徹底した長回しと役者の極限ともいえる演技を引き出す溝口監督の演出力はやはり偉大です。この作品も観ているうちに引き込まれ、もはや映画を観ているとも思えず、自分が吉原の売春宿のあちらこちらに潜んでただただ覗き見しているような錯覚を覚えます。そこには倫理の押し付けも過剰なドラマもなく、ただただリアルな光景が展開され、但しどの光景を切り取るかの選択という編集の力によって、1時間半弱の覗き見体験がただの覗き見ではなく映画鑑賞という娯楽に昇華される。この「赤線地帯」は一般的に代表作とされる時代物ではなくまさに当時の現代劇な為、この覗き見感覚を最も感じさせてくれる作品です。自分の今いる世界とは違う世界にトリップできる最もお手軽な行為が映画鑑賞であるとすれば、溝口作品が最も偉大な映画であるといっていいのではないでしょうか。 【Sean】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2007-08-13 11:42:05) (良:1票) |
1.何かお化けでも出てきそうな始まりに(おや?いつもと違うぞ)と思いながらコーヒーを啜っていると、どうやら音楽が奇妙なだけでそれからはいつもより少し明るい映像の溝口作品が始まった。吉原遊郭のネオンに彩られた狭い路地をフラフラと行き交う男達を、あの手この手で引っ張り入れる女達の姿を映し出してゆく。面白おかしく表現してはいるが、彼女達一人ひとりの抱える問題は大きく、世間の風当たりも冷たい。器量とずるさが無ければ抜け出せず、そうでない者は年を取り、行き詰まる。何時の世もそうだ。力のある者だけが笑う。だが強い者だけでは生きて行けない。光と影は一体なんだ。弱い者が消えれば、強い者たちから影は生まれる。かっこつけたがそんな感じがするんだ。社会からも身内からも蔑まれながらも空元気で生きていく彼女達の姿が立派だった。現代のクリーンすぎて面白みの無い街づくりや何かにつけ過剰に反応する逃げ道の無い社会批判に警鐘を鳴らされているようでした。それにしてもミッキーを演じた京マチ子のいけいけっぷりには笑ってしまった。「八頭身や」って。そうそうラストであの奇妙な音楽がマッチするシーンがありましたよ。 【カリプソ】さん [DVD(邦画)] 7点(2007-06-21 21:33:30) (良:1票) |