5.描かれているのはジーナ・ローランズ演じるメイビル、ではなく実際はその周りにいる人々だろう。夫のピーターフォークはもちろん子供、実の母親、後に父親、義母、同僚たちとの関係は、仮借なく彼らの人柄、場を映し出している。その意味でメイビルは鏡のような存在である。ところで彼女は本当にこわれているのか?私は「こわれゆく」女という邦題はやりすぎだったように思う。すぐにキレて暴力を振るうピーターフォークだってふつうではない。under the influenceという原題のニュアンス。そして帰ってきたメイベルに対してピーターフォークが「ありのままの自分でいろ」と訴えるシーン。そしてラストシーン。これをどう解釈すべきか。子供たちにとって彼女は女神なのである。the influenceは一般的には酒やドラッグを示唆するが、この映画はまた違う「影響」を感じさせる。それは人間と人間の関係に入り込んでいる常識や「ふつう」といった見方なのではないか。 【Balrog】さん [DVD(字幕)] 8点(2013-08-30 00:57:05) |
4.カサヴェテスの世界では「はしゃぐこと」と「演じること」と「リラックスすること」とが悪循環を起こしている。本作のジーナ・ローランズの妻は、家庭は気楽で居心地よく楽しい場所でなければならない、という強迫観念に取り憑かれている。リラックスしなければいけないという強迫。そこで彼女は精一杯、気楽で居心地よく楽しい雰囲気を作り出そうと演じるのである。夫のピーター・フォークが仕事仲間を連れてきたときのシーン。スパゲッティで接待するのだが、このもてなしぶりが微妙に度を越してしまう。客をくつろがせようとはしゃげばはしゃぐほど、食卓はピリピリしていく。はしゃぎの奥で何か重いものがどんどん膨張していってしまう。当然場はしらけてくる。そういった悪循環。もっと普通に出来ないのかと思う夫も、子どもたちを海に連れて行けば、ついハッピーな気分を強要してしまうし、妻の退院祝いのパーティでも「もっとこう、天気の話とか、普通の会話を出来ないのか」と怒鳴り散らしてしまう。「普通」というものは「普通でないもの」もある程度含んで初めて「普通」になれるのに、彼らは純粋な「普通」を求めてしまうのだ。リラックスしようとすればするほど、何かに向かい演じてしまう。いつも他人に対して構えているような生き方。この夫婦はそれに心底うんざりしているんだけど、それから抜け出そうとする試みが一つ一つ演技を補強していってしまう。まさに悪循環。この映画はヒステリックな赤に彩られながら、じっくりとこの徒労というしかない戦いを観客の前に展開してくれる。映画史上おそらく最もたくましい神経症患者。そうか、コロンボ刑事とグロリアの夫婦か、タフな話になるわけだ。 【なんのかんの】さん [映画館(字幕)] 8点(2011-08-06 10:28:15) |
3. 妻役のジーナ・ローランズが、朝食シーンから、いつブッ壊れるか、ドキドキハラハラしながら観ていました。 小道具や伏線も特にないまま、役者たちの繊細な演技で心理を押し出していく世界は、観ている側も気を引き締めないと受け入れられないかもしれません。 147分という長時間でありながら、シンプルな「序・波・急」の三部構成。アッという間に終わってしまいました。 因みにキャストの順番がバラバラです。 主役がジーナ・ローランズです。 【クロエ】さん [レーザーディスク(字幕)] 8点(2010-04-23 00:25:20) |
2.やっぱジーナ・ローランズがすごい。こわれるぐらいの愛ってこわいなと。冒頭の食事のシーンから最後まで緊張感が漂ってる。 【バカ王子】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2005-08-07 23:57:54) |
1.故ジョン・カサベテス夫人のジーナ・ローランズが精神的にだんだんこわれてゆく女を熱演。ピーター・フォークもコロンボの時とちょっと違ってその妻を支えてゆく献身的な夫をうまく演じていた。自分が精神的に追い詰められた時、夫はあんなに優しく接してくれるんだろうかと考えさせられた。どんなに子供を子供部屋に追いやっても母のそばに来たがり、子供たちはやはり母を求めてるんだなと思った。つくづく夫婦愛、家族愛について考えさせられた。 【fujico】さん 8点(2004-01-23 12:31:45) (良:1票) |