4.《ネタバレ》 史上初の正式なドラキュラ映画です。今まで私はクリストファー・リーが最高のドラキュラ役者だと思っていましたが、間違いでした。本作のベラ・ルゴシはリーを凌駕する威厳と存在感を示しており、とくにその眼力には不気味さの中に底知れぬ色気すら感じてしまうほどです。最晩年にあのエド・ウッドと関わってしまった為に色物怪優と言うイメージが憑いて回っていますが、どうしてどうして、彼は映画史に銘記されるべき名優だと思います。 原作にはかなり忠実なストーリー展開みたいですけど、後年のドラキュラ映画とはディティールで異なるところが多々見られました。ドラキュラの嫌うのはニンニクの臭いというのは定番ですけど、なぜか本作ではトリカブトに変わっています。ドラキュラが蝙蝠や狼に変身する(直接的なシーンはありませんけど)というのは原作通りですけど、この部分は意外と後年のドラキュラ映画ではスルーされることが多いんです。あくまでヴァン・ヘルシングがヒーローでジョナサン・ハーカーは愚かな引き立て役というストーリーテリングも、今となっては一般的でないかと思います。ドラキュラが吸血する場面は首筋に噛みつくところも含めて映されないのですが、やはり“ヴァンパイアが首筋に噛みつくのは性行為のメタファー”という分析の通り、30年代のハリウッド映画では刺激が強すぎてムリだったんじゃないでしょうか。最初の餌食であるレンフィールドだけはサイレント映画じみた大げさな演技で浮いている感じもしますが、狂気の演技としては意外と迫真だった気がします。 あっけないラストを含めて尺が短すぎるために大雑把すぎる感もありますけど、まさにゴシック・ホラーの古典中の古典、ルゴシ=ドラキュラの様式美をご堪能あれ。 【S&S】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2022-10-16 22:17:50) (良:1票) |
3.恐れる村人たち、迷信を笑う若者、霧が流れて古城へ向かう道、と何度も見てきたような筋運び。でもこれがドラキュラとしては一番最初なんだろ。伯爵家のセットがなかなかよい。高い天井、右からさす月光、走り回る怪しのネズミ。蜘蛛の巣を通り抜けてしまう伯爵。このゆっくりとしたしゃべりと歩きは何なんだろう。もうほとんど能の世界。死ぬことを許されぬ者は、世の東西に関わらずこうなるのか。「ゆっくり」のモチーフは手の動きも支配する。常に最初に出てくるのは手なの。棺から出てくるのもまず手から(フランケンシュタインの怪物で最初にピクピクし出すのも右手だった)。手は「つかむ」に通じ、ゆっくり追い詰めていく手、って感じが怖いんだろう。おそらく人体の中では最も速く動かせるものが手で、それが相手に気づかれぬようにゆっくりつかむ準備をしている、って怖さか。もう確実に確保し終えてしまっていて、あとはゆっくり賞味するだけだ、という感じもあるな。それと怪人ものでは、特色ある弱点がいい。魔除けの草、十字架、昼の光、等々。弱点ではないが、鏡に映らない、ってのも大事だね。 【なんのかんの】さん [映画館(字幕)] 7点(2011-08-16 10:08:37) (良:1票) |
2.ベラ・ルゴシさんの有名なドラキュラ伯爵、一度は観たいと思っていました。 年代もののモノクロの画面から、ドラキュラ伯爵の白いお顔がこちらに迫る! 作品の静かさとも相まって、ベラさんのオーラの大きさに圧倒されました。 今夜の夢に出そうで怖い{{ (>_<) }} ドラキュラのイメージはこの映画からだと実感。 クリストファー・リーさんのドラキュラも好きですが、こちらの迫力もかなりのもの。 そうそう忘れられない強さがありました。
もうひとつ、お城のセットの美しさや不気味さも凄い。 蜘蛛の巣が張る廃墟なのに、モノクロフィルムの技術もまだ初期なのに、この造形美、光と影の使いかたは秀逸だと思いました。
ところで私、映画館も無い田舎で育ったので幼児のころは「セサミストリート」のファン。 あ~そうか! キャラクターの”カウント”って”カウント・ドラキュラ”とかけているのだと、○○年後の今になって知る事実(笑) 「ワン・トゥー・トゥリー・ハハハハハハ」で雷ピカーのカウント、大好きでした。 カウントの鼻の高さはベラ・ルゴシさんからなのでしょうね。
ユニバーサルのこのシリーズ、「狼男」も「大アマゾンの半魚人」も楽しみです。 【たんぽぽ】さん [DVD(字幕)] 8点(2005-11-28 22:35:54) (笑:1票) |
1.あれだけ『エド・ウッド』を誉めておきながら、こちらにレビューを書いてなかったのに今さら気付いた次第。この映画の異様な点は(トーキー初期だから仕方ないというのもあるが)BGMがほとんどない点。この頃は役者の演技力だけで勝負しなければ、観客を引っ張っていく事はできなかった時代(同時期の参考例として名優ジョン・バリモア主演『悪魔スヴェンガリ』/ピーター・ローレの熱弁が光る『M』/本作と同じ監督の『フリークス』を挙げておきますね)。で、本作のベラ・ルゴシ。巧い。底知れぬ、胸に染み入る、病的な静謐。もちろん他の役者(ドラキュラ側の奴ら)の演技も巧いので、監督トッド・ブラウニングの力もあるとは思う。だがルゴシの演技はそういうものを超えている。演技じゃなく、本物じゃないかと思う。つまり世界大戦の傷が癒えない時期の、「東欧」という病んだ土地・歴史が持つ本物の迫力なんじゃないかな、と(これは最近『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を観て再認識したコト)。惜しむらくは、全体を通してハーカー君にちょっと華麗さが欠けてたのと、ヘルシング教授まで陰気臭くなり過ぎてた点が残念かな。彼らは光の側を代表する人物なんだから、ドラキュラ伯爵に押されるだけじゃダメでしょー。 【エスねこ】さん 7点(2004-05-23 17:19:27) (良:1票) |