8.《ネタバレ》 私たちが最も嫌いなのは、「凶悪殺人犯」ではなくて、「偽善者」だと思う。ドッグヴィルの村人たちは、グレースを裁こうとしました。またグレースのほうも、自分の正当性を出張して、父の力を借り、村人の連中の裁きを断行します。よく考えるとドッグヴィルも、グレースも、お互いが相手の罪を指摘し、お互いが相手を裁こうとしていることが分かります。そして、ドッグヴィルはグレースを裁くことに失敗し、グレースは裁くことに成功した。その違いがあるのみです。グレースは子供の殺し方まで命令した。だからこそ、すべての人間は「罪を持った愚かな生き物だ」というメッセージが明確になったのです。もし、グレースが中途半端なことをして、観客に同情されてしまったら、この映画は、間違いなく失敗作で終わったはずです。監督が私たちに、分からせたかったことは、「人間は自分の罪には鈍感だ。しかし他人の罪には敏感なのである。」と、いうことに尽きると思います。それなのに「偽善者のトムが一番むかつく!」と、私たち観客が言い出したら、せっかくの監督の苦労も水の泡ですね。 監督はこの映画で、何度もこう叫んでいるのです。「世の中には、自分は善良な人間だ!と思い込んで、他人を裁こうとしている者が多いのだよ。それはドッグヴィルの連中であり、グレースであり、そしてあなたたち観客なのです。 みんな自分の罪を棚上げして、他人の罪を非難しているのです」 この映画をみて、自己嫌悪に似た嫌な気持ちを味わった人は、正しい見方ができた人だと思います。反対に、「僕は悪くないもーん。グレースは悪いやつだなー。いや、トムのほうがもっと悪いかな? やっぱり監督が一番悪党だなー。けしからんぞー」と考えている人は、虚無感を感じない正義感たっぷりの幸せ者です。そういう人には、トリアーの魔法も効かないでしょう。 【花守湖】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-01-23 19:39:18) (良:4票) |
7.《ネタバレ》 奇抜な演出だけの作品かと思っていました。とんでもなかった… とてつもなく重い。 作り手は、ドッグヴィルの住人の、つまりは人間の傲慢さ、残酷さ、醜さを描きたかったのでしょうか。いや、当然町の人々だけではなく、グレースや彼女の父親も含む全ての登場人物について同じ視点で描きたかったのでしょう。そうに違いありません。 ただ、私には、そのことを作品の内部でのみ表現しているのではなく、観ている私達観客の心の中にまで拡大して表現しているように思えます。何故なら、このラストシーン、支持しますか?スッキリしましたか?もしかしたら、「早く殺せっ!こんなヤツラは殺してしまえっ!」なんて思いませんでしたか?ラストで彼女が町に残るか、はたまた町を消すか。これだけの長編なのに、僅か数分のラストで作品全体の方向性さえ変わりかねません。 最後の選択を支持するのも傲慢、支持しないのも傲慢。結局人間とは、まだまだその程度の心しか持ち合わせていないのだ、そんなメッセージを観客の心の中に直接生じさせているのだと受け止めました。そして、一匹の犬だけが、全てを客観的を見ていた証人だったのでしょう。全てが消え去り、観察者は姿を現しました。 ちなみに、殺風景なスタジオなのに、途中から(実際には目の前にない)風景が脳裏に浮かび始めました。優れた表現力を持って書き上げられた、そんな小説を読んでいるかのような錯覚におちいったのは、私だけでしょうか? |
6.《ネタバレ》 演劇のような映画で、こういう作品は初めて。 作り手の挑戦的な姿勢には好感が持てる。 ニコール・キッドマンのこの作品での美しさは、思わず見とれてしまうほど。 それと対比的に、天使に甘えて牙を剥き、エゴの捌け口にしていく人間の醜悪さに不快感が募っていく。 集団で一人のよそ者という弱者を奴隷化していく過程が見事に描かれる。 理不尽な行為を正当化して善人を装う人々に虫唾が走る思い。
力を持たない者に対して露呈した傲慢な残虐さ。 その捌け口になった弱者が実はマフィアの父という恐るべき力を持っていた。 圧倒的な暴力によって報いを受けるラストは、なるべくしてなったもののようにも感じる。 同監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」もそうだが、人間のダークな部分をえぐり出すのが実に巧み。 3時間の長尺で、前半は少し退屈で先が思いやられるが、村人たちのエゴがさらけ出される後半は引き込まれて時間が短く感じる。 ニコール・キッドマンが妙にハマっていて、他の女優だとここまでうまくいかなかったような気がする。 【飛鳥】さん [DVD(字幕)] 9点(2014-05-10 22:57:04) (良:1票) |
5.《ネタバレ》 集団の中で人は人を助け、受け入れ、許して生きていくべきなのだろう。が、保身という本能から他者との間に壁を作り、弱者を虐げる事で自分を守ろうとする。弱者をみつけ、その弱みをみつけ、そこにつけこんで住民達が欲望を満たしていく様はまさに犬のようである。実際には存在しない壁をそこにあるかのように振る舞う住民達が生活するあのセットは人間の本質を表しているようにも見えた。俳優陣の演技、絶妙のストーリーテリング、深いメッセージ性に魅せられる、必見の人間ドラマである。 【サムサッカー・サム】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2008-01-23 23:55:17) (良:1票) |
4.なんてこった。飛行機に乗ったこともないのにアメリカを描いたらしいこの作品、どこがアメリカ?と、言われているとおり、最初は確かに思った。こういう「村社会」じたいは昔や今のアメリカというよりはアジアとかヨーロッパ的。しかしグレースの選択に、このほどのアメリカの選択が、ある・・・!村のえぐさに隠れて気づかないとこだった!それ一発で描き切っちまったんかい。ブッシュPV映画なんかよりいいかもしれないよ。同時に人間のえぐさももれなく付いて来ます。そしてグレースに同調して溜飲を下げてる観客たちが、こんなにもいる。たぶん。もっとやれー。やっちまへー。恐ろしいよ。恐ろしすぎて面白いよ。こんなものに賞をあげたくなかったという気持ち、わかるよ。小説のバトルロワイヤルの時みたい。点数はけっこうフィーリングというかいいかげんに付けてるものだが(ぉぃ)0~2点か10点か。でも10点もあげたくない。そんな迷いの9点。そしてもうひとつのテーマでもある、世界のそこかしこにあるドッグヴィル村に捧げる映画でもある。 |
3.天使か? 悪魔か? (キャッチコピー)と問われても ____だって、人間だもの みつを 【恭人】さん 9点(2004-09-07 01:18:23) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 ラストが納得いかない。それは皆殺しが酷いからではなくて皆殺しは別に望まなかったことではなく、むしろ望んでいたことである。問題はドッグヴィルの連中がギャングに殺されたってことだ。彼らの誰一人としてグレースに対して反省も後悔もする事無く、わけのわからないままギャングに銃殺された。これは連中にとってみれば事故死とも等しいことであると思う。裁く者が誰であれ裁かれる者は自分の罪を知ることも、そしてその罪に対して何らかのことを思うことは必要ではないかと俺は思う。ま、初めから無かったことにするってのがグレースの考えなのかもしれないけど、それなら自分が受けたドッグヴィルでの虐待も無かったことであり、全てが無意味だったと言う事になると思うんだけど、そうでも無かろうに。とにかく、ニコール・キッドマンが綺麗だったのでそれだけでも見る価値あります。 【taron】さん 9点(2004-09-04 23:28:11) (良:1票) |
1.《ネタバレ》 ラース・フォン・トリアー初体験だった。これは、すごい、濃い濃い。ただ、ナレーションが若干饒舌にすぎ、ぐるぐる動き回るカメラには最後まで違和感残った。このドッグヴィルは学校のクラスに似ているんじゃないだろうか。うわべだけ、気に入られようとして、お互い仲のいいように振る舞う。その関係にわずかな傲慢さ(犬の心というか)が入ると、友達は奴隷と使用人の関係にどんどん傾いていく。一人をのけ者にしてそれを排除しようとする。第9章で「雲がきれ、月の明かりが街を照らす……」のナレーションが入った場面があのセットを必然にする。最後の復讐、グレースは自分の中の犬の心が牙をむいた姿を直視する。「人間は力を持っただけの犬か?」そういう風なことが頭に浮かんだ。 余談。トムとグレースは一度は愛し合ったのだろう。しかしグレースがトムの心の中を見透かしたがために、トムの中の犬の心もまた牙をむいたのだと思う。 【アイカワ】さん 9点(2004-04-01 19:06:53) (良:1票) |