東京画の投票された口コミです。

東京画

[トウキョウガ]
TOKYO-GA
1985年西独上映時間:93分
平均点:6.20 / 10(Review 15人) (点数分布表示)
ドキュメンタリー伝記もの
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監督ヴィム・ヴェンダース
ヴィム・ヴェンダースナレーション
納谷悟朗ジョン・ウェイン(劇中テレビ映像)
出演笠智衆
厚田雄春
ヴェルナー・ヘルツォーク
小津安二郎
原節子(「東京物語」より)
東山千栄子(「東京物語」より)
香川京子(「東京物語」より)
高橋豊子(「東京物語」より)
ジョン・ウェイン(劇中テレビ映像)
ヘンリー・フォンダ(劇中映画)
脚本ヴィム・ヴェンダース
配給フランス映画社
編集ヴィム・ヴェンダース
録音ヴィム・ヴェンダース
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1.《ネタバレ》 小津安二郎の「東京物語」に惚れこんだヴェンダースが1983年に東京を訪れた紀行映像という体裁。彼は小津の作品のなかに映画の「聖地」があると言う。それはおそらく、登場人物たちの本質を描き明かしたという賛辞だ。「東京物語」は1953年の製作だから、小津が描いた東京からはすでに30年の隔たりがある。高度成長を経て大きく変わった東京の見映えは「東京物語」ではない。花見・パチンコ・打ちっ放し・タモリ倶楽部・プロ野球中継・竹の子族、といった大衆文化の表層を意図的にモンタージュして、緩慢な堕落をイメージさせる。言葉には出さないが小津が探し当てた深い精神性の喪失を悼むかのようだった。中盤でヘルツォークに代弁させた内容が、この映画の本旨であり、ヴェンダースが東京を訪れた目的でもある。曰く「すでに地上には純粋で澄んだ透明な映像はない。それは考古学者のように発見する必要があり、そのためなら自分はどこへでも行く」。彼の言葉にある「映像」はそのまま「映画のテーマ」と置き換えて良いと思う。やはりというか、当たり前というか、映画監督もテーマ探しには躍起になり、苦労しているのですね。その本音がとても新鮮でした。ヴェンダースは映画作家として、小津が映した精神性に、たとえそれが残滓であろうとも、触れたくて東京にやって来た。街とそこに住む人から得るインスピレーションが映画の材料であり、小津のファンとしても同じものが見たかったのだと思う。でも、その願いは空振りに終わったようだ。日本人が持つとされる徳の文化や儒教的な世界観が失われたとは思わないけれど、しばらく滞在しただけの外国人には触れる機会は無いでしょう。個人的に一番面白かったのはヴェンダースのパチンコ評。あまりに納得したのでメモってしまった。「騒音の中、群集に紛れ、だからこそ孤独に落ちる玉を追う。催眠状態と奇妙な幸福感。得るものは少ない。ほんの一瞬、自分から抜け出し、忘れたいことごとを忘れる」。ははは、確かに。それと、ヘルツォークの登場には驚いた。怪作「フィツカラルド」を撮った直後だったことを考えると「どこへでも行く」という言葉は迫真でした。やっぱりかなり変な人だ。ちなみに、今作で使われていた「東京物語」の映像は尾道のシーンで、そこにはとびきり穏やかな時間が流れているが、東京の映像では無い。このあたりはドイツ人向けの演出なのだろう。
アンドレ・タカシさん [CS・衛星(字幕)] 6点(2009-12-23 22:44:29)(良:1票)
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【点数情報】

Review人数 15人
平均点数 6.20点
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200.00%
300.00%
400.00%
5320.00%
6746.67%
7426.67%
816.67%
900.00%
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