奇跡(1955)の投票された口コミです。

奇跡(1955)

[キセキ]
The Word
(Ordet)
1955年デンマークベルギー上映時間:126分
平均点:6.50 / 10(Review 16人) (点数分布表示)
公開開始日(1979-02-10)
ドラマモノクロ映画戯曲(舞台劇)の映画化
新規登録(2004-01-27)【しったか偽善者】さん
タイトル情報更新(2021-10-04)【イニシャルK】さん
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監督カール・テオドール・ドライエル
キャストビアギッテ・フェーダーシュピール(女優)インガ
脚本カール・テオドール・ドライエル
製作カール・テオドール・ドライエル(ノンクレジット)
配給フランス映画社
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【口コミ・感想】

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1
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6.《ネタバレ》 キリスト教を真摯に描こうとすると、だいたいにおいてほとんどのキリスト教信者は真の信者でないということに至る。この作品でも信仰心を強く持っているはずの人が「奇跡」を信じない。当然といえば当然である。いくら神父や牧師といえど、聖書に記された様々な奇跡を真実だと思っている人なんてそうはいないだろうし、仮にいたとしても今再びその奇跡が行われることを信じるかということになれば疑問を抱くのではなかろうか。この映画は信仰はこうあるべきだと言ってるのではなく、むしろ信仰って何?と問いかけているよう。ただこの映画が凄いのはそんな宗教観なんかじゃなく、奇跡という事象をもたらす見えざる何かがいる気配を画面に残しているように見せてしまう映像にある。映されるのが家の中がほとんどの中、突如として現れる空と草原の絶妙な構図、真っ白い洗濯物、そして風、この瞬間こそが奇跡そのものだ。
R&Aさん [映画館(字幕)] 8点(2008-09-17 12:12:42)(良:2票)
5.《ネタバレ》 「奇跡(御言葉)」の題でも知られる作品。
俺個人は宗教を否定する「怒りの日」の方が好きだが、この作品が「裁かるゝジャンヌ(裁かるるジャンヌ )」に並ぶドライヤーの最高傑作である事は確かなのだろう。
「裁かるゝジャンヌ」は神格化されたジャンヌ=ダルクを一人の人間として描き抜いたが、この映画に起こる奇跡は神の仕業か、あるいわ人の言葉が起こした奇跡なのか。それは見る者に委ねられ、その瞬間を貴方はワクワクしながら待てるのか、あるいわ苦痛を伴いながらも待てるのか。少なくとも、劇中の人間たちの神に対する信仰は何処か薄い。

丘を登り神のお告げか何かを待つもの、それを諦めてくれる事を待つもの、家族の帰りを待つもの、希望と焦りを抱えながら医者を待つもの、荷物を運ぶためにその時を待つ漆黒の馬車、椅子に座って最後の別れあるいわ奇跡を待つものたち。時計の針も誰かが再び動かしてくれる事を待っている。

のどかな農村風景、動物の鳴き声でいつものように起きる人々。青年が窓を開けると、小高い丘に階段で登っていく男の後ろ姿。
青年たちは丘を登った男の後を追い、それを窓から見守る家族。風でなびく丘、そこから見下ろすように何かを語り始める男。男は部屋の中でも火の灯された蝋燭を持ち、同じような語りを続ける。それを優しくそっと消し、家族にコーヒーを振る舞う。どうやらこの光景は家族にとって日常風景になってきているらしい。
彼はこの後も何度も何度も同じような語りを繰り返す。その積み重ねが奇跡へと繋がる。
蝋燭は室内を照らすため、死者を弔うため。

凶事を知らせる馬車の疾走。

哀しみが満ちた空間、馬の嘶きが時間の経過を伝える。薄いカーテンが窓から注ぎ込む強い光を和らげる。
重く結ばれた指がある“言葉”によって開かれる瞬間・・・!少女の唇も微笑を浮かべ、重く沈んでいた眼に光が蘇る。

冒頭でも神か人間の奇跡かは観客に委ねられると書いた。
ただ、俺個人は人間が起こした奇跡だと信じたい。たとえ本当に神様がいたとしても、その言葉を伝えられるのは人間だけなんだから。時計の針を動かし生命を与えられるのは・・・。
すかあふえいすさん [DVD(字幕)] 9点(2014-01-25 13:27:34)(良:1票)
4.《ネタバレ》 ほとんど室内劇として進んできて、常に窓は室内から外に向いていたのに、医者の車を見送るシーンで、カメラは窓の外から父と三男を捉える。なにか今までと違う緊張が生まれたところで、室内にヨハネスが歩いてきて不吉なことを言う。壁を這っていく車の光。するとドアから、ミゲルが現われインゲの死を告げる。ここからラストまでは、ずっと石のように硬質な時間が続き、この充実した手応えは滅多に味わえるものではなかった。葬儀の場、人々はより確かな自分の立ち位置を求めるかのように、ゆっくり室内を経巡る。隠されたルールに基づいているかのような、確固とした移動。中央に動かないインゲが、最も安定した姿勢で横たわっている。人々の移動の果てに、ヨハネスと幼子の導きによって奇跡が訪れ、インゲとミゲルが支えあって立つ。一人で横たわっている姿勢ほど安定はしていないが、二人の生者としての安定した姿。キリスト者でない私が、この後段で心を震わされた理由をなんとか言葉にしようとすると、こんなことになるだろうか。この映画、初めて観たときは、ヨハネスの言葉に捉われ過ぎ、キリスト教に無知な者だからキチンと味わえなかった、と思わされてしまった。まして1930年代のデンマークの田舎における宗派対立なんか、理解できるはずもないし。でもこれは、愛と死と聖なるものをめぐる普遍性を持った映画だったのであり、この後段の、時間が石と化したあの固さを体験すれば、特定の宗教と関係なく、「味わえた」と言ってもいいのではないか、という気になっている。
なんのかんのさん [CS・衛星(字幕)] 8点(2011-01-02 14:55:35)(良:1票)
3.《ネタバレ》 映画の結末において、“奇跡”は起こるのか、起こらないのか。正直、途中までは「起こってほしくないなあ(ベタ過ぎるもんなあ)」と思っていたものの。いったいこの、“奇跡”を観終わったときの納得感、充実感は、一体何なのか。やはりこの映画のもつ説得力、なんですかね。厳密に、ひとつのシーンをワンカットで撮影、というわけではないけれど、かなりそれに近い構成。やや大げさにいえば、1シーン=1エピソードという印象すら持つ(シーンはしばしば、部屋に誰かが入ってくる光景で始まったりするもんだから、「前の場面からのつながり」よりも、「新しいシーンが始まった」という印象が強い)。部屋の中での人物の配置、人物の動きに合わせ、カメラがゆっくりと動き続ける場面が多いのだけど、その中で、ところどころでは細かいカットが使用され、これにハッと息をのむ。ヨハネス失踪の場面もそうだけど、やはり、インガがよみがえるシーンの緊張感(印象的な少女の表情!)。これで“奇跡”が起こらんかったら、そりゃサギやで、ってな気分にもなろうもの。ま、実は、ホントの奇跡は、人と目も合わさない頑固ジジイが宗派を超えて和解するあたりですでに起きていたのかもしれませんけどね。
鱗歌さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2008-09-07 22:32:52)(良:1票)
2.人が生き返るということから私はすかさず「ゾンビ」を連想してしまう。心やさしい人ならば「白雪姫」を想像するかもしれない。人によっては「バカボン」で、馬鹿田大学の友人の葬式でバカボンのパパが「死んだー、死んだー、ザマーミロ~」とお経を唱えたら、その死んだはずの友人が飛び上がり元気になって逃げるパパを追いかけるシーンを想像する、かもしれない。どれもフィクション的な復活で、そこにはそれぞれの強度を持って死者の復活を意味づけている。ところがドライヤーの「奇跡」はそういう感覚を超越している。「聖なるものの顕現があるところ」を映画上で作り上げてしまったのだ。いわば映画内の完璧な儀式化である。カール・ドライヤーは儀式を全うする人と空間と時間と、それらの内から生じる「何か」をスクリーンで表現する為に、これほどはないというほどの美しい白黒の映像を生み出した。それはこの映画における白・黒こそが映画で初めて生と死を際立たせたのではないかと思うぐらいに、である。故にこの映画は彼女が生き返るということに疑問の余地を全く与えない。奇跡が起こるということがフィクションの特性としてあるとするなら、この映画における奇跡が起こる過程はおそらくどんな映画よりも崇高で近づきがたい。であるがゆえにこの映画は、本当に映画と呼んでいいのか、何か別のものなのではないかという気さえ起こる。
Qfwfqさん [映画館(字幕)] 10点(2005-02-18 16:44:58)(良:1票)
1.主題が間違いなく宗教なので、人によって評価が分かれそう。印象としてはラース・フォントリアー監督の「奇跡の海」によく似ているが、細かい所で比較していくといろいろと興味深い相違点も見つけられるだろう(特に、子供の役割、主人公の性別、祈りの描写など)。そもそも宗教には「神を信仰すること自体が、神を裏切っている」という逆説がある。神はわざわざ信仰によって確認されるべきではなく、むしろ、信仰しようなどと思えないほど神の存在を「自明」として捉えていることこそ真の神への態度ではないだろうか。この真の態度とは狂ってしまったヨハネスの態度である。だが、全員がヨハネスのようになると世の中の現行秩序は崩壊することになる。そんな心配すらヨハネスはしないのだろうが…。少なくとも宗派の違いなどは、トリヴィアルで取るに足らない問題であるようだ。 考えるネタは尽きない。
wunderlichさん 9点(2004-06-17 22:07:01)(良:1票)
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【点数情報】

Review人数 16人
平均点数 6.50点
016.25%
100.00%
216.25%
300.00%
4212.50%
516.25%
616.25%
7318.75%
8318.75%
9212.50%
10212.50%

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 10.00点 Review2人
2 ストーリー評価 10.00点 Review2人
3 鑑賞後の後味 10.00点 Review2人
4 音楽評価 10.00点 Review2人
5 感泣評価 10.00点 Review2人

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