4.日常が非日常の世界に変わるその瞬間に向かって淡々と流れる時間。しかし日常の中にすでに事件が始まっていることを、数人の生徒が学内を歩き回る姿を延々と追いかけるカメラが映し出している。存在を誇張されるアメリカン・フットボールの選手たち。存在を認めてもらったように嬉しく写真に収まる人たち。存在を否定されるメガネの女の子。他人の存在を無慈悲に否定する三人のバカ女どもの自意識過剰ぶり。そして存在の確認を銃によって証明する者・・。コロンバイン高校銃乱射事件を題材に持ってきているため、当然ながら社会派の色合いが出ており、それゆえに各映画祭での好評を得ているのだろうし、その語り口も巧いとは思うものの、個人的にはこの社会派の部分は蛇足に感じていたりもする。それほどに『ジェリー』以後のガス・ヴァン・サントの映画は、思想だとかメッセージだとか実際に起こった事件の記憶だとかそのことに対する意見だとかを無視しても、単純にそこ(画面)に映っているものだけで映画が成り立っており、またそこに映っている全てのものの相乗効果でもって緊張感やら孤独感やらといった目に見えないものを表現する。「エリーゼのために」は印象的ではあったけど、これも要らないかもしれない。 【R&A】さん [DVD(字幕)] 7点(2008-02-19 13:15:17) (良:1票) |
3.《ネタバレ》 鮮やかな色彩を背景に描かれた日常風景がまさに嵐の前の静けさといった感じで、いつ事件のシーンが始まるのかハラハラしながら観ていました。序盤からは事件の起きた高校がいたって普通の高校で、そこにいる生徒たちも日本の高校生と何一つとして違った点がないということが見て取れ、その中にいわゆる「いじめられっ子」という名の生徒がいる点も全く変わりません。化学の時間に異物を投げつけられる男の子と、ブスやデブなどと揶揄される女の子が、主実行犯と最初の被害者という立場にわかれてしまった決め手はどこにあるのか。普通の宅配便と同じように玄関先でやり取りされていた銃が何とも暗い影を社会に落としているように感じられてなりませんでした。実際の銃乱射事件に対する答えは、映画がひとつ明確に示したりするものではなく、これを観た人々がそれぞれに考えるものなんだとこの映画は言いたいのだと思います。 【Thankyou】さん [DVD(字幕)] 7点(2007-03-22 23:44:21) (良:1票) |
2.何の変哲も無い、いつもと変わらない高校の一日。カメラは唯ひたすら生徒を追い続ける。前から後ろから、上から下から、廊下、食堂、教室、図書室、運動場等々、唯ひたすら追い続ける。そして起こる惨劇。それでもカメラは唯ひたすら生徒を追い続けるだけ。しかしガス・ヴァン・サントのカメラは、観客を生徒の一人や当事者には決してしない。そこにあるのは当事者ではなく、冷めた目撃者の視線。そして無力な傍観者の視線。この映画は観客に考えることさえ求めてこない。我々に出来るのは唯「見る」ことのみ、そして忘れないこと。事件と共にその事実に戦慄した、7点献上。追伸:何と本作、スタンダード・サイズじゃないですか。そしてHBOの文字。アメリカでは、有料チャンネルHBOのテレビ映画だったんじゃないでしょうか。 【sayzin】さん 7点(2004-05-05 00:07:08) (良:1票) |
1.何の変哲もない高校。部活、カフェテリア、図書館、誰もがいつも通りの時間を過ごす日常風景。この映画は、そういった一日の出来事を生徒の視点からリアルタイムのように淡々と映している。そういった中で起こる悲劇。二人の生徒による銃乱射事件。彼らもまた事件が起きるまではいつも通りの日常を送っていた。そんな彼らの心の奥に横たわる何か。澄み切った秋空の風景から映画は始まり、少し雲がかった秋空の風景で終わる。その秋空が空しく、悲しく、少し苦かった。 |