7.はっきり言って、メグ・ライアンは大根である。ただし彼女が大変魅力的な大根であったことは、彼女自身ばかりでなく誰にとっても不幸なことであった。大根だって調理法さえ間違えなければ立派な一品料理になり得るはずなのに、コメディ以外のどんな役にも不向きな彼女は、「実力派」として認められたいがためにそのキャリアのほとんどを無駄な努力に費やして来た。たとえば戦争映画、たとえばアクション映画。挙句の果てがこれである。こうなったらもう、これが遺作となってくれることをファンとして祈らざるを得ない。女性が何かをこんなに頑張りました、ということをわざわざ言う時代ではないと思うのだけれど、はっきり言ってこの作品にはその主張が溢れすぎている。残念ながらここにはエロはあるけどエロスはない。1文字の違いだが大違いである。同じ過ちを男性がやったら、少なくとも純然たるスケベ精神だけは残るのでまだしも救いがあるが、女性がエロを頑張り過ぎたらただの下品さしか残らない。エロ度については、メグ・ライアンにしてはやりすぎだけど世間一般の現代的標準から言えば全然手ぬるい。要するに中途半端な不潔さだけが、サスペンスはおろかまともなプロットすら存在しないシナリオにベタベタとコラージュされただけ。最後の最後までこだわりを見せた「ちょっとカッコいい」風のエンディングに賭けられた作り手の熱意が虚しい、前代未聞の最低最悪映画。はっきり言って盛りを過ぎたメグ・ライアンの裸は醜悪の一言。あんなに虚しい「ケ・セラ・セラ」は二度と聴きたくない。 【anemone】さん 1点(2004-04-07 01:12:33) (良:6票) |
6.出かける前は、↓「うわ、【anemone】さん、ひょエ~!」と、ビビリ、帰りは「申し訳ない~【anemone】様、いずこ~! 貴女様 のおっしゃる通り~」とお詫び申し上げる次第でした。 Rー15に期待して行った私の愚かさよ。睡眠不足のかたは「2時間が短く感じられましたァ!」のコックリ必至。 美しいかも、のオープニングに騙されてはいけない、気弱な妊婦さんはなるべく観ないほうがいいと思います。監督のファンのかたは「ピアノ・レッスン」をもいっかい観た方がずっといいでしょう。 and メグ・・どうせならもっと若い時に見せて下されば・・・かなり覚悟してましたが、皆さん、自分のバストに自信すら持てま・よ。 メグがニコールを意識してるのか?ニコールがメグを自分に似せようとしてるのか・・どちらでももう良いけど。やっぱりラブコメ・ファミコメに戻って下されメグさまぁ。//追記:【ピルグリム】様、そうなのですか! 早速、、あ、でもせっかく「メグに勝てるもんが1つあったかも?!」と歓喜なワタシのここ1週間、ちょっと勿体無いかしら?・・などとアホ極まりないワタシに声をかけていただきとてもうれしぃです、アドバイスありがとうございました。≪そうそう字幕にもアゼンです! メグコメ・ピアノレッスン心酔組≫ 【かーすけ】さん 3点(2004-04-07 17:24:08) (笑:3票) |
5.いちおう最後まで見ました。はい。 【山椒の実】さん [地上波(吹替)] 3点(2008-10-12 23:36:40) (笑:1票) |
4.確か、公開時のコピーが「メグ・ライアンは、なぜ脱いだのか」。 彼女の渾身の一作らしいのに、なんてダサいコピーか...と、当時は嘆いたが、 本編を観てみたら、その通りだった。ミステリーでも無ければ、サスペンスでも無い、 エロティックでも無いし、文学的でも無い。「なぜ、脱いだのか」分からない。 彼女が、それほどまでに惚れ込む脚本だったとは思えないのだよ。 それと、妹の惨殺現場を観客に見せるなら、それなりの深さを用意して欲しい。 妹の扱いに、返って、腹が立つ。 【じょるる】さん 3点(2004-11-01 00:09:55) (良:1票) |
3.なんか予想以上にエロ映画だった。メグの裸は普通にキレイだと思ったけど、別に脱がなくてもいい気もする!ふと思ったんだけど、ケヴィン・ベーコンは何役だったんだ!?それが一番のサスペンスなわけですが・・・。 【およこ】さん 5点(2004-10-27 15:12:14) (笑:1票) |
2.シリアスな人間ドラマだったり、戦争モノだったり、はたまた濃厚なベッドシーンだったり。ある一定の年齢以上の女優が、この種の作品に出ることは、それだけで「演技派」としての印象を持たれがちになるものだ。ところが、それは誰しもに当てはまる絶対的なイコールではなくて、ライトな恋愛映画やコメディでも「上手いなぁ」と観客を唸らせ、存在感を見せつけることはできる。すなわち、作品の種類やエロティックなシーンの有無と役者の実力は無関係なのだ。「ラブコメの女王」として、この10年不動の地位を築いてきたメグライアン。演技は決して上手ではないけれど、大きな瞳をクリクリさせて、愛くるしい仕草、キュートな表情で絶対的な人気を得、観客もまた男女の別なくそんな彼女を欲しがった。ところが当の彼女は、自身のそんなキャラクターを拒絶するかのように、たびたび(彼女にとっては必要のない)「戦火の勇気」のような不釣合いの作品に出たがった。あたかも戦争映画に出ることが「演技派」としての印象付けが可能な護符であると信じているかのように。そして今回もまた・・・ラブコメがよく似合うということは、彼女が決してチープな女優だということを意味しない。ゴールディ・ホーンをみてみるといい。コメディの専門家である彼女がメリル・ストリープより劣るなんて思っている映画ファンはだれ一人としていない。メグライアンは実力とキャラクター、そして自身の願望との乖離が年々悪化していってるように思う。彼女が外すべきものは洋服のボタンでもなければ、ラブコメでもない。「自分の実力とキャラを素直に受け入れる勇気を!」と彼女に伝えたい。「フレンチキス」のアナタは最高に輝いていたじゃないか、と。 【給食係】さん 3点(2004-06-12 12:32:25) (良:1票) |
1.この映画で描かれているのは普段理性や規則によって抑圧された衝動を解放した人間たちの思考、及び行動である。全編を通して漂う濃密な性の香り、暴力描写は、観るものを深い、暗い穴の淵に誘う。わたしたちはおそるおそるその穴を覗いている。穴を覗き込むわたしたちは、映像の端々がぼやけている事も手伝って言い様のない不安感を掻き立てられる。その不安感はどこから来るのだろうか。それは一見浮世離れしたこの映画に潜むリアリティである。 【コーヒー】さん 6点(2004-04-25 12:45:37) (良:1票) |