《改行表示》 2.映像は、平気で嘘をつく。たとえ「事実」を写し撮ったものであろうと、編集ひとつでカンタンに白を黒と言い含めることができるのだ。 今日、そんな“映像の「嘘」”を最も確信犯的に使いこなし、文字通り「嘘」のように面白いドキュメンタリーを創り続けているのが、マイケル・ムーアという男であるだろう。彼の作品は、いつでも「事実」を撮った映像・・・それ自体は白でも黒でもない(あるいは、白でも黒でもある)「事実」の断片を、絵と絵のつなぎ方ひとつ、ナレーションひとつで、易々と「黒」にしか見えないものへとまとめ上げていく。そうやって彼(の映画)は、アメリカという国家と国民を“食い物”にする「巨悪」を暴きたて、白日の下にさらし出すんである。 彼は、建て前だけの「公正さ」を拠り所にするジャーナリズム的手法じゃなく、あくまで警世家(!)として、「正義」の側に立とうとする。この『華氏911』でも、彼は今まで以上に「正義の人」として、「悪党」ブッシュ政権を撃つのだ。 今まで以上に? そう、ここでのムーアの「怒り」は本物だ。そこに「嘘」はないだろう。彼は純粋にブッシュとその陣営を、彼らをとりまくエスタブリッシュメントたちの悪らつさを、本気で怒り、告発しようとする。それがこの映画の原動力となり、もはや大統領選挙の行方にすら影響を与えるほどの“力”となったことは、ぼくたちにも周知の事実だ。もしかしたら、ブッシュの再選を拒み、ムーアのこの映画は、現在のイラク状勢にも変化をもたらすかもしれない。それはそれで、あっぱれと言うべきなのだろう… しかし、すべてを「ブッシュ側」に押しつけ、彼らを「悪」に位置づけることで、本当にアメリカの抱える真の問題を捉えることができるんだろうか。むしろそれは、本当の問題を“見えにくくする”ことになりはしないだろうか? 単純に「悪」と「正義」を線引きするこの映画は、見る者を安易に「正義」の側に立たせ、権力を撃ったつもりにさせることでカタルシスを与える。けれどそれは、例えば大統領やCIA、FBIなどを悪役に仕立て上げたハリウッドの娯楽映画とまったく同じ(!)スタンスでしかない… ぼくはムーアの「怒り」の正当性を信じる。が、この映画の「安易さ」は、やっぱり否定したいと思う。ゴダールの批判した通り、それは結局「敵(アメリカ)を利するだけ」だろうから。 【やましんの巻】さん 4点(2004-09-02 12:25:01) (良:2票) |