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1.  先生! 、、、好きになってもいいですか? 《ネタバレ》 
入学式の行われている体育館。開かれた引き戸から、外の桜が見える。 あくびをかみ殺す生田斗真とふと目が合うショートカットの広瀬すずの髪が微風にかすかに揺れる。 そうした外光と微風とを活かした慎ましい演出が安定の三木組らしさだ。  序盤は極力携帯電話を持ち出さず、授業中の親友とのやり取りもメモ書きの手渡しだし、 ラブレターや、試験勉強、九十七点の答案用紙と、直筆の文字を映画の感情を引き出す小道具としているのがいい。 居残りの広瀬に数学を教える生田が走らせる鉛筆の流暢な音が、それだけで彼女の恋情を引き立たせている。  確かに広瀬すずは超絶かわいいのだが、それも撮影の山田康介を含む、照明重視の三木組スタッフワークあってのもの。 かつてはスタッフ軽視の失言でバッシングもされた彼女だが、しっかり主役を張っている。
[映画館(邦画)] 6点(2017-10-31 23:38:49)
2.  関ヶ原 《ネタバレ》 
有村架純の役は忍者アクションをほどほどに加味し、恋愛ドラマをほどほどに 絡ませて群像劇のボリュームアップを目論んだのだろうが、 本筋とのクロスカットが却って散漫な印象となった。 せめて終盤の視線の交錯は、有村側の表情でもうひと押ししても良いと思う。 俳優の高度に力んだ面構え、膝行などの所作もそれらしさがあり、 CG交じりだろうとはいえ戦場のロングショットやモブも豊富で、朝霧の描写なども 見事なのだが。そもそも語り部がチグハグというのもドラマの阻害要因だ。
[映画館(邦画)] 5点(2017-08-30 23:54:37)
3.  セル 《ネタバレ》 
空港内の雑踏の点描から、携帯通話者の氾濫状況を浮かび上がらせていく序盤なのだが、その程度の事にこれほどのショット数を必要と するものなのかと、まず呆れる。無駄。おまけに不安定な手持ちの画面はショットと呼ぶのも躊躇われる。 パニックがスタートしてからの乱雑編集はもう観るに堪えない。  帰郷の映画のはずなのだが、その帰り着いた家の佇まいも印象が薄い。  ラストの悪夢的イメージはまずまず。
[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2017-03-02 23:58:49)
4.  セトウツミ 《ネタバレ》 
二人が並び座るツーショットの距離感とフレーミングが絶妙である。  その長回しによって、正面から見合うことのない二人の反射(リアクション)の妙を余すところなく伝え、 またある時は、それぞれの横顔の切返しによってリズムをつくり、フレーム外への視線の誘導によって 外界のロケーションや人々との通風性を獲得する。   二人の後景をまばらに行き来するエキストラや、無頓着な猫の仕草が何とも云えぬ味を醸し出す。 背後を流れる情景が、彼らの世界を絶妙に相対化するのである。  線香花火の瞬きや、菅田に降りかかって淡く消える粉雪もまた映画的な情趣を纏う。
[DVD(邦画)] 7点(2017-01-18 16:58:18)
5.  1000年刻みの日時計 牧野村物語 《ネタバレ》 
太陽の運行のショット。稲の生育や受精のショット。それら、膨大な時間と手間暇をかけた映像は生活と一体化した見事なスペクタクルである。  土器の発見から始まる遺構の発掘のエピソードなど、偶然の要素が生活=映画の中に取り込まれ、発展し、映画を豊かに形づくっていくのが凄い。  神主さんの祝詞の響きや、みねさんと呼ばれる女性の延々と続く味のあるおしゃべりがなんとも魅力的でまるで聞き飽きない。  村民が協力して演じる五巴の一揆のエピソードでは、長回しのショットで各々が拙いながらも順々に台詞を披露していく。 懸命に練習して台詞を覚えたのだろう、そうした画面には表れていない時間と努力がダイレクトに伝わってくる。  学校の校庭で学生たちの生演奏が始まると、クレーンが上昇し、出演した村民の方達が輪になって名前を名乗りながらカメラの前を歩いていく。 連帯感に満ちた、ハートフルで何とも素敵なエンディングである。
[DVD(邦画)] 10点(2017-01-06 00:02:57)
6.  先輩と彼女 《ネタバレ》 
部室の窓際が映画のメイン舞台である。 タイトルバックでは画面左手の窓枠に座る志尊淳と、それを画面右手下から見上げる芳根京子の構図が 中盤から少しづつその位置関係を変化させ、ラストでそれを逆転させる。 乗り越えられる窓、揺れるカーテンと風鈴、逆光気味の白バックなどがここで活かされる。  序盤はファンタジック調の浮つき気味にみえる画面に不安が募るが、春から冬への季節の進行と恋愛ドラマの起伏に伴って 寒色系も織り交ぜた、しっとりした画面に変化していくのがいい。  背景の電車の進行方向も、手前の人物の感情に同調させる細やかさも見事だ。  外光を綺麗に反射させた学校の廊下、白い雲と空のショットなども丁寧に撮られている。  そして、ヒロイン芳根の天真爛漫な表情が魅力的だ。
[DVD(邦画)] 8点(2016-04-01 00:08:18)
7.  セーラー服と機関銃 -卒業- 《ネタバレ》 
順撮りだろうか。序盤はあまりパッとしない橋本環奈も感情を発露するに従い、次第にさまになっていく感じはある。 が、ラストの雛壇にしてもヒロインの魅力を引き出しきれていないように見えるのは撮り方の問題ではないか。  荒らさせたカフェの中で橋本が大野拓朗、宇野祥平と共に語り合う長廻し、 長谷川博己と手を取り並び走る二人に雨を降り注がせる長廻しなど、シネフィル心をくすぐろうという魂胆が 見えなくもないが、相米慎二アプローチもしっかり踏襲し、おそらくは不得手だろうアクションシーンも 北野武などにはまるで及ばないながらも頑張って撮っている。  全編通して光にも気を遣っており、クライマックスの派手な逆光を始めとして、軽トラックでの逃避行から夜明けまでのシーン、 武田鉄也の行く手に集結するパトカー群の赤色灯など、よくドラマに寄与させている。  ちなみに、スクリーンでの武田鉄矢を今回初めていいと思った。
[映画館(邦画)] 6点(2016-03-05 23:57:58)
8.  セッション 《ネタバレ》 
奏者をコンダクトするJ・K・シモンズの顔面と手の連動ぶりは 舞踊のごとく、その静と動のメリハリは確かに視覚的快感すら催す。  その凄みとパワー故か、主人公であるマイルズ・テラー共々 クロースアップ主体のフレームサイズでバランスを取らざるを得なく なったようでもある。  様々な対話シーンも台詞やショットの間合いを極力詰めてリズムと テンポを作っているが、顔面アップ中心となるのはやはり気に掛かる。  ラストの檜舞台もそれが復讐の場ならば尚の事、晒し者にされる主人公と 聴衆達とのスケール比較をフレーミングで際立たせる等のひと工夫が欲しい。  主人公の憧れの場がこじんまりとしていては、彼の屈辱感が伝わらない。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2015-05-24 08:58:24)
9.  青天の霹靂
タイトルに適っての、天候変化による光の推移や 盛大な水漏れでショートする裸電球などなど、、 照明や小道具・効果音を以て心情を画面に置き換える術は心得てはいるようでありながら 肝心なところではストレートに超クロースアップの泣き顔芝居に陥ってしまう。  そのテレビ演出ははっきりと大きなマイナス点だが、 照明を駆使してヒロイン:柴咲コウを美しく撮ることにかけての 意識の高さは画面からはっきり窺える。  大泉と柴咲の視線と手の所作を巧く繋ぎ合わせたクライマックスの クロスカッティングも見事に決まっている。    
[映画館(邦画)] 6点(2014-08-17 07:02:00)
10.  ゼロ・グラビティ
驚くべきは、その引切り無しの音の氾濫である。 映画冒頭の字幕第一行目でまず宇宙の無音を説明し、劇中の二者の会話でも 宇宙の魅力をその「静寂」と語らせているにもかかわらず、だ。  通信音声が終わると同時に、船外作業の三者の対話が止めど無く続き、 間髪入れずに脅かしのBGMやSEが鳴り響く。  映画が全くの無音を採り入れるのは、中盤でジョージ・クルーニーが ハッチを開けた瞬間の約30秒弱。正確にその一箇所のみである。  無論、音響によって静寂を逆に強調する手法もあるだろうが 本作の場合は明らかに音や台詞が過剰だ。  サンドラ・ブロックがひたすら何かを「GRAB」しようとする 純粋なアクション映画としてならばそれもよろしいが、 映画は最後に何やら地球讃歌・生命讃歌をやりたいらしい。  それなら、最後の羽虫の羽音や波音の感動はより対比的に際立たせるべきではないか。 彼女は単に重力だけを実感しているのではないのだから。  空の青さに、大地の感触。そして生命の音。 タイトルを読むことばかりに囚われては、それらを見逃し、聞き逃すだろう。 (そもそもこの題名自体、重力だけを意味するのではない。)  ともあれ、サンドラ・ブロックが素晴らしい。 中国の宇宙ステーションに取り付かんと悪戦苦闘する、 その全身のアクションこそ感動的だ。    
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2014-01-07 08:02:11)
11.  009 RE:CYBORG
CGを介してアニメに近づいていく実写映画と、同様に実写に近づいていくアニメ。  本作における人物やメカニックの動作も照明と陰影のかけ方も、 いわゆるリアリズムが志向されており、アニメ的なデフォルメされたアクションや 構図は時折に差し挟まれるといった感が強く、 正直のところ(CG)アニメーションであることの必然性や戦略は見えづらい。  ビル爆破、核爆発、サイボーグの特殊能力といったCGスペクタクルも、 現在なら十分に実写画面に加工することが可能なわけで、 そこをあえてセルアニメーション風でやるからには、アニメならではの特性がもっと欲しい。  そして、作中の核爆発などが単に小奇麗な光とスピード感による スペクタキュラ―な見世物でしかないのはかなり気になる。 人間不在のカタストロフィでは何の感慨も起きようがない。  平和やら善やらを語りながら、そこに焼かれる人間の痛みも悲惨も まったく描けていないのは、CGアニメという手段の問題ではなく 視点と想像力の問題である。  記憶の操作に関するあからさまな説明台詞など、脚本も無駄が多い。 
[映画館(邦画)] 3点(2012-11-08 01:05:29)
12.  世界大戦争
経済的要請から、他社に先駆けて早々と軍部と結託し 数多くの軍事教育映画・戦意高揚映画を作り上げ、 多大な利益を挙げてきた東宝撮影所。  まさに戦争とはまずもって経済行為。 局地紛争勃発の報道に際して、主人公が戦争関連株の取引に躍起になるように、 戦争とは理性的な金儲けの道具に他ならない事をこの映画はしっかりと露呈させる。  自分の身にふりかかる全面的核兵器戦はイヤだが、 自分の利益になるどこか遠くの通常兵器戦は大歓迎という、 条件付の浅ましいご都合主義的反戦論である。  61年という時代設定からして紛れもなく戦中世代であるはずの主人公の、 戦争に対する無反省と「東宝」的日和見主義。  他国の戦争を踏み台にした特需に対する認識も疚しさも一切無く、 「国民が働いたから」と自賛する欺瞞的な平和と繁栄の図。  ゆえに、大仰な伴奏音楽で露骨なまでに強調される彼の悲憤慷慨も 何一つ共感・同情を呼ばない。  ナイーブでエモーショナルな、つまりは反理性的な反戦メッセージは 退行でしかない上、随所に挿入し過ぎの戦闘描写はそれ自体、 製作側の意図に関わらずいくらでも「反・反戦」的ニュアンスを含み得てしまうことへの無自覚が明白である。  戦争自体が多義的かつ多面的ゆえ、その映像は悲惨のみならず、 悲壮美や魅惑的スペクタクル、爽快なアクション性をも併せ持つ宿命だが、 この映画の円谷特撮場面の数々がまさにそうだ。  東宝特撮技術もまた第二次大戦の中で培われてきた映像技術、 つまり戦争の恩恵なのであり、だからこそこの映画は安易な反戦には落ち着かせない。  無線交信場面のあまりに直截的で無粋なショット、字幕のタイミング、 編集、音楽処理は全くダメだと思う。  
[DVD(邦画)] 4点(2012-08-20 00:49:17)
13.  戦火の馬 《ネタバレ》 
グリフィス的「再会」に、フォード的「父母」に、ホークス的「動物との共演」等々。  古典アメリカ映画を律儀に参照・再現しつつ、その上で自身の視覚的記号(差し出される手、隠される眼など)をしかるべくドラマ各所に活かし自身のフィルムとするしたたかさ。  それでいて馬の側の物語から人間側の物語である塹壕戦の描写に移行した途端、その画面に漲る意気込みが物語の統御を失いそうになる微妙なアンバランス感覚もスピルバーグ作品の魅力ともいえる。  馬を追い詰める威圧的な突撃戦車といった趣味全開の細部に執心しつつ、ギリギリで全体の統覚を保ち大団円にまとめあげるあたりは貫禄である。  黒澤明が嫉妬しそうなほどの「馬の映画」であると共に、第一次世界大戦の塹壕戦を視覚化することもまたやはり戦争の世紀を網羅しつつあるアメリカ時代劇作家としての隠れた主題なのだろう。  ヒューマンドラマを語る一方で、馬軍の突撃と共にサーベルが鋭利に人間を貫いていく殺傷の音響や、塹壕の至近距離への着弾の振動や、砲車を高台へと引き上げる行軍といった容赦無い暴力描写には、スピルバーグ流の分裂的特徴が明快に現れている。  であるからこそ一方でフィクション性をあえて際だたせ、フィルムを現実から隔てようとする。  本作に限らず、スピルバーグ作品の登場人物が一貫して「英語を話す」のは、云うまでもなくかつてのハリウッド映画のコードに忠実であり、それ以上に虚構としての「映画」に自覚的であるからに他ならない。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-08-08 02:24:32)
14.  世界侵略:ロサンゼルス決戦 《ネタバレ》 
厭戦と不況と失業率悪化の中、なりふり構わぬリクルートに精出す米軍と、物資・施設協力の見返りに露骨なゴマスリぶりをみせる製作側。(ベビーブーマーへの配慮もぬかりない。)  あまりの臆面の無さに、逆効果ではないかと心配してしまうくらいだ。 キャスリン・ビグロー『ハート・ロッカー』ほど巧妙でないぶん実効性は低いだろうが、本質は一緒だ。  軍関係の画面占拠率とアクション規模は、迎合とアピールの度合いにはっきり正比例していて、イラク侵略泥沼化を経て、尚も仮想敵の捏造と徴兵宣伝に勤しまねばならない懸命ぶりが気の毒にもなってくる。  それはともかくこの映画、相も変らぬ「故意の手振れ」にまず萎える。 こんな手垢のついた「詐術」をまだやってるのか、と。そのダサさに心底、呆れる。  いくら揺らしの為に揺らしたところで、対話シーンでは平気で切返しを使い、ビルやバスへの突入シーンの度にキャメラが先行して、兵士が銃口を向けるのを「川口探検隊」式に幾度も正面から捉えるのだから、緊張感も臨場感もあったものではない。(『ハート・ロッカー』もまったく同様。)  出鱈目な視点で、単に揺れてさえいれば「ドキュメンタリータッチ」だというなら、観客愚弄というべきだろう。  これまた手垢塗れの近視眼的「小状況」設定と近視眼的顔面アップの連続は、文字通り近視眼的ヒロイズムにまみれ、無線遮断も時間制限もカウントダウンも、ドラマの中で何らサスペンスとして立体化せず、退屈極まりない。  新鮮味も皆無で、端的につまらない。    
[映画館(字幕)] 1点(2011-09-24 16:43:26)
15.  0課の女 赤い手錠
作り手が統御し得ない火、水、風の要素が画面内で不定形に狂乱する。  水飛沫をたてながらバスタブに後ろ向きに突っ込んで悶死する一等書記官と、バーのマダム。 泥水の水溜りも、ことごとく画面に飛沫を撒き散らすために配置される。 水責めとバーナー責めの拷問や、真っ赤に噴出する血飛沫、ススキ野原、櫓の炎上もまた然り。 何より眼を奪うのは、クライマックスで過剰なまでに散乱する紙片(即ち、風)の凄まじさだ。 激しく舞い踊る紙片の狂騒ぶりが理由もなく活劇的に映画を盛り上げる。  杉本美樹の無表情、室田日出男や郷英治の神経症的な顔面を際立たせるネオン照明の照り返しも秀逸だ。  ヒロインの受ける拷問、傷跡、バスタブ、風、そして破り捨てられる警察手帳は、 どことなくイーストウッド譲りといった趣。 
[DVD(邦画)] 8点(2011-07-15 23:14:55)
16.  戦火のナージャ
広大なロケーションと膨大なエキストラを武器とした旧来的な物量志向に、現代ハリウッド的なCG加工が微妙に織り交ざる戦争アクションが見所。 橋梁、赤十字船、強制収容所をシュトゥーカが急降下爆撃するモブシーンも旧ソ連戦争大作を思わせるスケール感であり、酷寒の大雪原で、白煙と濃霧の中を飛び交うドイツ戦車の砲撃光の明滅も迫真性満点だ。  中でも、納屋に押し込まれた村人たちがドイツ軍の火炎放射によって焼き討ちされるシーンの凄絶な業火が痛ましい。  しかしそうしたスペクタクルシーン以上に、オレグ・メンシコフがピアノ演奏を強要されるスターリン邸のシーンや、身内を虐殺されたジプシーの娘がドイツ兵の銃口を前に一人踊るシーンの静かな恐怖感の演出こそ、ミハルコフ監督の真骨頂だろう。  時間軸を必要以上に錯綜させる構成に妥当性を見出すのは難しいが、大幅にカットが施されているという日本公開版では仕方ないか。  『太陽に灼かれて』に続いて主演するナージャ・ミハルコフの従軍看護士としての活躍が不足気味に感じられてしまうのも、恐らく短縮版ゆえだろう。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-05 01:22:14)
17.  戦場にかける橋
映画の冒頭、カメラが捉えるのは線路脇に建てられた小さな十字架群。 日本映画『ビルマの竪琴』が日本人犠牲者のみを弔うように、英米映画『戦場にかける橋』が悼むのは、当然ながら欧米人犠牲者のみである。 元来がこの泰緬鉄道自体英国の計画なのだから、日本も英国も同じ穴のムジナでしかないのだが。 この悪名高い突貫工事に従事させられ最も犠牲となったのは、日本軍・連合軍捕虜以上にタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアの膨大な労働者達だが、「自惚れ鏡」たるフィクション映画にそれを描く義務など当然ないし、それを描写しないから駄目な映画であるとも限らない。 が、観る側が戦争の具体的イメージを欠落させている限りフィクション映画は一面で有効な「汚点隠し」あるいは「責任回避」としても機能してしまうのも確かだろう。 日本国側にとっては「理性的」戦争犯罪行為を、英国側にとっては元来の「理性的」植民地政策を。映画は案の定、口当たりの良い「madness」へと一般化し、その免罪符と共にラストの俯瞰の視点へと逃げ込む。 この映画が小状況としての日英の友好を描こうとしたとしても、両軍が橋の建造を「協働」する具体的な画面はほぼ絶無といって良い。あるのは協力しあったという意味・記号だけだ。それは映画ではない。 ウィリアム・ホールデンらに随行するのが現地の娘たちであることには故がある。 現地男性の不在。その見えない部分にこそ、この映画の題材の本質的問題性がある。 だからこそ、「不可視」の戦争論は、映画論とは区別しなければならない。  強いてこの映画で「戦争の虚しさ」なるものを突きつけるシーンを挙げるなら、爆破工作員らがあっけなく射殺されるのを、彼らに好意を抱いていた現地女性たちが目撃する2つのカットである。  
[DVD(字幕)] 5点(2011-05-01 12:14:29)
18.  戦場のピアニスト 《ネタバレ》 
映画の中では、主として「迫害する側」は「Germans」と呼称されている。 つまり一般的ドイツ人を指す。ポーランド・ユダヤからすれば、恐怖の対象はナチズムに同化していた「ドイツ国民の大半」及び非ユダヤ系ポーランド人であり、つまり被迫害体験者たる主人公らにとっては「ナチス」も「国防軍」も同じ穴のムジナということだ。 終盤で灰緑のコートを着た主人公が「ドイツ人」として憎悪されポーランド兵に誤射されそうになるのをみれば一目瞭然だろう。  「ナチス=悪」、「国防軍=良識的軍隊」といった安易な二分法は大戦後の東西冷戦構造の中で西側がドイツを取り込み、再軍備する必要上から生まれた認識であり、「ナチス」のみをスケープゴートとすることで旧ドイツ国防軍を免罪し名誉回復させる、いわゆる「冷戦トリック」というべきものだ。  当時のいわゆる西側プロパガンダ映画の数々がこの認識を補強するために機能している。この単純な二元化の危険性は、個々の人間を無視し、組織・集団で人間を括り、その罪を集団責任化してしまうことにある。それは映画にあっては、個々の人間を観ないことを意味する。 本作の中で、ドイツ軍将校は「国防軍」だったから主人公を助けた訳ではない。帰属する組織に関わらず、ウィルム・ホーゼンフェルト大尉個人の良識に基づき、助けたのである。 実体験者たる原作者も、監督も当然そのように「人間」を描いている。  フィクションであれ、ドキュメンタリーであれ、画面の細部に浮かび上がる真実の断片は疎かに出来ない。
[映画館(字幕)] 7点(2011-02-01 21:09:21)
19.  戦場でワルツを
「曖昧な記憶をたどる」ドラマと、「くっきりはっきり」細部まで鮮明なタッチのアニメーションは違和感、大である。主題と形式が噛み合っているように見えない。シンプルに黒くつぶした人物の影が記憶の暗部を仄めかすのは了解するが、描画の細密さが逆にイメージの広がりも損なっているように思う。輪郭をぼかしたノルシュテイン風のタッチこそこの映画にはふさわしいのではないだろうか。動画が抑制的である上、技法的必然性が感じられないこともあって、総じてアニメーションとしての印象度は薄い。結果的に実写のインパクトを強調するための便宜的な引き立て役として機能してしまうのだから、尚更だ。  
[映画館(字幕)] 5点(2010-02-08 19:45:27)
20.  関の彌太ッぺ(1963) 《ネタバレ》 
画面一杯の雄大な空とその下に小さく人間を配置した、開巻と終幕のローアングルが強烈に印象に残る。旅し、変貌し、裏切り、ひたすら移ろう人間と、その一方で移ろわぬ永続的で広大な自然の対比か。全編にわたって視覚化される「風」と「花」が主題として浮かび上がってくる。娘が恩人に気付く契機となるのも、旅人の語る台詞と同等以上に、10年経ても移ろわず旅人の面影と共に視覚化された白いむくげの花のイメージであろう。それだけに、ロケーションにも全く劣らないセット美術による草木の風物描写は傑出した仕事となっている。むくげの白との対比か、ラストの「一本道」の道端に咲く彼岸花の赤が切ない。
[映画館(邦画)] 10点(2009-11-01 21:00:44)
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