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あにやん‍🌈さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2524
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ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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501.  華麗なるギャツビー(2013) 《ネタバレ》 
 この映画のオリジナルな良さ、という点においてなんか微妙な感じがして。   秀逸なのは街の人々の生と死を見おろす眼科医の看板の目なのですが、あれは原作から存在しているものなので(ちゃんと宝塚版にも存在してますし)、忠実な映像化以上のモノではない気がしますし。   バズ・ラーマンのチカチカするような賑やかな画、あの紛い物みたいなインチキくさい作りが好きではあるんですが、それが今回は必ずしもいい方向に転んでいるとは思えないんですよね。  今回はむしろちゃんとした時代設定の元で、忠実にアール・ヌーヴォーからアール・デコへ至る美術で飾られた世界が見たかったです。   ガチャガチャと賑やかなせいで、妙に全体がペラペラな印象で、ギャツビーがやたら幼稚な人間に思えてしまいました。  金や地位に群がる連中の空疎なから騒ぎは(過剰なくらいに)描けていても、その間に吹く虚しいすきま風や本心から求めていたものに関する描写は通り一遍な感じが無きにしもあらず。  ギャツビーが手を伸ばし掴もうとしていた緑色の光、あれがもうちょっとだけギャツビーと観客を誘う役割を担っていたら良かったように思います。   それにしても最近のディカプリオはどうもジャック・ニコルソン化してきているような気がして仕方ないです。
[映画館(字幕)] 6点(2014-02-14 21:15:06)
502.  劇場版 TIGER & BUNNY -The Rising- 《ネタバレ》 
 最大の難点は前作の映画から直接繋がっている訳ではない、間にテレビシリーズのエピソードを挟んで初めて成立する話だという事。なので冒頭にダイジェストでテレビシリーズのまとめが入りますが、それで不細工な成立の仕方を隠せる訳ではありません。   さて、今回はテレビシリーズの続きとなる完全新エピソード、それだけに制約は少なくなっている筈なのですが・・・。  やはり『タイバニ』は『タイバニ』なんですよね。二軍落ちした二人が何か面白いエピソードを見せてくれるのか、というとテレビシリーズから延長線を引っ張ってるような話で。虎徹は相変わらずヒーローとしての限界にウダウダと苦悩している状態で、またお人好しエピソード重ねてます、って。バーナビーも相変わらずのツンデレ兄さん。  むしろ二軍メンバーでもっと色々と見せてくれたら環境の違いの面白味が出て良かったんじゃないかと思うのですが。   他ヒーローもテレビシリーズからまんま延長されただけって感じなんですよね。このキャラの描写はここまで、っていう境界線が明確に引っ張ってあるかのような新鮮さの無さ。唯一、トラウマに呑まれる事になるネイサンのみ、新たな面白味が出ていたと思います。   クライマックスはハリウッド製アメコミ映画なみの一大アクションで、多元的かつ立体的な運動っぷりが心地良いです。あれでもう少し刈りこんで流れをスッキリさせていたら更に気持ち良かったと思うのですが。当然こうなるだろうって流れに到達するまでをちょっとタメ過ぎててストレス感じちゃいました。  最後に犯人側にいきなりドラマを作っても、それまでの描写が皆無なために、単にモヤモヤを残してしまったような状態。   終わってみればまたまた意外なスケールの無さ(それでも前作よりは遙かに大きいですが)に「おや?」って感じ、まだまだ続けるのかいな、って雰囲気がバリバリで、1本の完成された映画を見たという満足感には大きく欠けてしまいます。   この微妙に外されてゆく、満たされないもどかしい感じこそが『タイバニ』の魅力なんでしょうかねぇ。私にはやっぱり理解できなかったりするのですが。
[映画館(邦画)] 6点(2014-02-13 21:00:41)
503.  スノーピアサー 《ネタバレ》 
 前半、ありがちなB級SFアクション映画で、ポン・ジュノ監督ともあろうものがハリウッドに呑み込まれまくったモノを作っちゃったかぁ、って失望気味だったのですが、中盤からどんどんと一筋縄ではいかないヘンな映画になっていって、ああ、監督、ちゃんとブレなかったんだ(笑)ってひと安心。   『ほえる犬は噛まない』『殺人の追憶』『グエムル 漢江の怪物』『母なる証明』と、ポン・ジュノ監督の作品は一貫して「英雄になりそこなう底辺の人々」を描いています。正義の名の元に体制に逆らい、真実を暴いてゆこうとする、だけど待ち構えるのはいつも皮肉な展開。   今回の作品はそのポン・ジュノ路線をいっそう純化させたような内容で。  一本の列車に凝縮された社会の縮図があって(この部分、エド・ハリスのセリフを始めとして説明し過ぎた感はありますが)、その中で底辺の人々の闘争があって。   一両一両の小さな空間にまとめられ象徴された世界(扉が開かれるごとに全く趣向が変わってゆく、その魅力的な仕掛けが楽しく)、そしてその社会の縮図を守ろうとする意志と破壊しようとする意志のバランス。それぞれが脆弱なものの上に成立している現実、それぞれの役割を全うする事こそが、社会のシステムのバランスを保つ秘訣・・・でも?   最後の投げっぱなしには決して明るい未来が開けてはいません。だけど、じゃあ今のシステムの上に安住する事こそが幸せなのか、上を向かずただそこにある現実を甘受していればいいのか、と言えば・・・。いずれにしろ今の行動が未来に責任を残す事に変わりはない、その「今」を描く事にポン・ジュノ監督はいつも腐心しているように思います。   予告から受ける印象よりもずっとヘンな映画で、それゆえポン・ジュノらしい快作でした。
[映画館(字幕)] 8点(2014-02-13 20:50:35)
504.  劇場版 TIGER & BUNNY -The Beginning- 《ネタバレ》 
 『タイバニ』の面白さっていうのがどうも判りません。ずっと触れてきていながら(まるで片目で見るかのように、ですが)何が面白いのか掴み兼ねてる状態なんですよね。   アメコミもののパロディみたいな作品なのですが、同じくパロディとして先に登場した『ミステリーメン』(スポンサーロゴ背負ってるってのはコレが元ネタ?)や『Mr.インクレディブル』に似つつ、それらを越えてゆくモノが感じられません。  そこに盛り込まれた雑多なイメージはひたすらとっ散らかった印象で統一感に欠け、そられの中からとっかかりを見つけようにもどうも掴みどころが無い、美味しそうに思えながら延々とハズし続けているような、そんな感じ。  アメコミとアニメ、大人向けと子供向け、シリアスとコメディ、一般向けとマニア向け、それらの間にあってそれぞれを両立させようとしているような感じがなんとも歯痒いハンパさを生んでいる作品、というイメージ。   さて、この映画版はテレビシリーズの出だしの部分+それ以降の物語との間に入る追加エピソードという構成なのですが、この作品を見る事で『タイバニ』の世界観を理解する事はできても、映画という舞台で何らかの新しいモノに触れられるのかというと、これがあんまり。  追加エピソードは一人の犯罪者との戦いを描く「この程度で映画を作っちゃったのか」ってレベルの話。以降に続く部分との齟齬をきたしてはいけない訳ですから、どうしても決められた狭い枠の中に納められてしまうのは当然ではあるのでしょうが。  虎徹とバーナビーのキャラの個性やスタンスの違いとコンビ成立の足掛かりという意味で組まれたエピソードであるものの、その敵の小物っぷりや展開する舞台の狭さ、テレビシリーズを見てきた人間にも、映画を期待した人間にも微妙な感じが否めません。   どこかで見たような事があるエピソードやキャラクター、そこから先のオリジナルな魅力が感じられないのがどうにもこうにも。ペラく見える表面の、本当は存在して当然な筈の奥行きのある裏側、それがちっとも見えてこないのが『タイバニ』なんですよね。
[映画館(邦画)] 4点(2014-02-11 21:53:00)
505.  大脱出(2013) 《ネタバレ》 
 愚かな配給会社や映画ライターのせいで映画前半の、どこに刑務所があるのかという秘密が明らかになってゆく流れが一切無効になってしまい、無駄に勿体つけただけの展開に。この人達には自分の行為が映画の脚本や演出を意味のないものにしてしまったっていう自覚があるんでしょうか? 業界はこういう馬鹿な連中を平気でのさばらせておいていいんでしょうかねぇ?   さて、じゃあそれがなければ傑作だったかというと、うーん。退屈はせずにそれなり、そこそこ楽しめはしますが・・・。   脱獄の計画を組み上げてゆくシチュエーションはあちこちに疑問符が浮かびますし(あれだけ監視されているのに普通に丸見えの場所で脱獄の会話していたり、ドクターに取り入ってゆく流れなんか、相手のメンタル面に訴えるにしても描写が曖昧で説得力が感じられなくて)、結局最後は力技で解決に持ってゆくので雑だなぁ、と。   それにスタローンの得意技な寡黙な役というのが相変わらず愚鈍な感じで大根にしか見えなくて困ったもので。   シュワルツェネッガーがヘリからマシンガンを取り外してバリバリ!ってところでコレコレ!って感じで気分が盛り上がりはしましたが、じゃあ、スタローンとシュワルツェネッガーで、おお、さすがにこの二人の共演作だけの事はある!ってところまで行ってたかっていうと微妙。  脱獄って言いつつ大虐殺になっちゃうクライマックスの不自然っぷりをもう無理矢理ねじ伏せちゃうようなパワーは既に二人から失われているわけで、それをなんとか演出側で上手く見せる事はできなかったのかなぁ。  この話ならばもう少しキビキビ動けるコンビに演じさせた方が良かったんじゃない?みたいな状態では困ってしまいますね。
[映画館(字幕)] 6点(2014-01-14 23:22:43)(良:1票)
506.  くもりときどきミートボール2 フード・アニマル誕生の秘密 《ネタバレ》 
 前作の独自センスに遙かに及びません。   前作のラストシーンからそのまま始まるという展開にはワクワクさせられましたが、明らかな『ジュラシック・パーク』と『ロスト・ワールド ジュラシック・パーク』からの引用が生む既視感が映画をとても凡庸なものにしてしまっています。  オリジナリティは失われ、定型フォーマット状態の物語が進んでゆくばかり。   更に大きな問題は作品内でのフードアニマルという存在の成立の仕方。  フードアニマルそのものは一部が前作のクライマックスシーンに登場しているので、そこから話が広がったのはいいのですが、フードアニマルの扱いが動物愛護方向に向いてしまっているので、前作後半の飽食批判が歪んだ形となってここに至ってしまったように見えてしまい。  歪んだテクノロジーによって生み出され続ける生命という問題からは目を逸らし、そのテクノロジーを独占しようとする悪役の駆逐と歪んだ生命との安易な共存オチで、果たしてそれでいいのか?という疑問だらけのままの幕で。  そこから更なる続編に繋げようとでもいうのでしょうか?(だとして「守られなければならないステキなフードアニマル」を持て余すのは目に見えていますが)   別の角度から見ると、これは大企業から搾取される才能、その才能が生み出したものを大企業から守ろうとする話であったりするわけで、つまりフードアニマルというのはクリエイティビティの象徴であったりするのかもしれません。悪の親玉がスティーブ・ジョブズ似なソニー作品、と考えると、なんだかイヤな臭いを感じてしまったりもして、手前味噌的な何かを表現したかったり?なんて思ってしまうのは下衆の勘繰りってヤツでしょうかねぇ?
[映画館(吹替)] 6点(2014-01-14 22:24:14)
507.  魔女っこ姉妹のヨヨとネネ 《ネタバレ》 
 脚本がダメです。  『ヨヨとネネ』って言いながらネネが殆ど活躍しないですし(ビジュアル的にむしろネネの方に動いて欲しかったのよね・・・)、ヨヨの寸法がいきなり伸びる理由が判りませんし、人物が整理されていなくてクライマックスに回りくどい展開をさせるためだけに設定されたキャラ達という感じで。このファンタジーにわざわざあんなゴチャゴチャとややこしいクライマックスが必要でしたか?   そして最大の難点、「え? なんでいきなり細田キャラなの?」。お父さんは『サマーウォーズ』とか『おおかみこども』とかの登場人物ですよね? 脚本的に細田作品(や宮崎作品)からの影響がデカいのもアレなのですが、デザインごと細田作品な状態はそれでいいのか?と(物語的には超微妙作『豆富小僧』にもよく似ておりましたが)。   にしても、シネマスコープの画面に展開するファンタジーアニメの世界は素晴らしくて。  色彩豊かな魔法の世界、生命を与えられて動きまわるキャラクター達。できれば現実社会とのリンク作ではなくて魔法世界を中心にした物語にして欲しかった気もします。   ヨヨの成長の物語は多分に『魔女の宅急便』を思わせはしますが、生死と人の心とを学んでゆく過程を素直に受け入れられました。   また、音楽が大変に素晴らしくてメチャカッコいいメインタイトル曲で泣けるという「音楽で泣けた珍しい映画」だったりするのですが、何故かサントラが今のところ発売されていないのが謎だったりします。   ダメなところが多い作品ではあります。でも、ダメって棄ててしまうには忍びない、あまりに愛おしい要素がタップリな世界、なので偏愛的評価を。
[映画館(邦画)] 7点(2014-01-06 20:16:01)
508.  ペタル ダンス 《ネタバレ》 
 VODで鑑賞。   映画やドラマの人間関係の描き方って実のところ独特で、それは登場人物の個性を印象付けるためだったり、ドラマティックに物語を組み立ててゆくためだったり。でも実際の人と人との距離ってこんな感じだよね、って思わせる映画。   人は基本、孤独で。だから生きるには他の人との繋がりが大切だけれど、近付くべき距離、踏み込める領域、その微妙な間隔を計って(他人の領域に土足で上がり込むような無神経な人間でもない限り)生きていて。   この映画は、その距離感を絶妙な描写で浮かび上がらせます。  フレームに入っている人、フレームの外側にいる人、フレームの中の人同士の距離、特定の人物がフレームイン、フレームアウトするタイミング、何気なく撮られているようでいてカメラは4人の登場人物の間に存在する距離とバランスをきっちり計算して描いています。  海辺に等間隔に離れて置かれた4人に波が押し寄せてお互いの距離が縮まる、その象徴的な瞬間をよくも見事に捉えたもので。   映画内では特に何も起こらないのですが、風に乗れず、逆風を受けた時、何が大切なのかをそっとささやくような、心に染みる作品でした。
[インターネット(字幕)] 8点(2013-12-30 22:09:09)(良:1票)
509.  ゼロ・グラビティ 《ネタバレ》 
 子宮とか胎児とか(へその緒付き)生命の誕生とか、せっかくそういう事を得意気に書いてやろうと思ったのに、既に町山さんがパンフで書かれていてガッカリだ(笑)  なので違うアプローチ。   シリアスな物語であり、かつ短い上映時間の中に芸術性がきっちり折り込まれている映画なのですが(再生の物語をサンドラ姐さんが好演しております)、同時にアトラクション映画としても非常にポイントが高い作品になっています。   『宇宙戦争』でトライポッドの攻撃から車で逃げるシーンや『スター・ウォーズEP3』冒頭のコルサント上空の戦闘シーン、あるいは『クローバー・フィールド』の手持ちカメラが捉えた日常と非日常が完全に繋がったシーン、それらを更に超える映像的な高揚感がこの映画には溢れています。要は「それ一体どうなってるの?」ってすっごい長回しがあったりするわけで。   キュアロン監督の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』でカメラが鏡の中の空間を出入りしたように、今作でもカメラは自在に動き回り、更に3Dと立体音響によってスクリーンと客席との隔たりを限りなく減らし観客を作品空間へと誘います。   91分間、座席にしがみついて目は画面に釘付け、それはもはや映画というカテゴリを超えてアトラクション感覚。実はお正月映画らしい見世物映画。   なので、なるべく大きなスクリーン、いい音響の劇場で見る事をお薦めします。いや、音響はいい悪いはともかく大ゲサなくらいウーファーぶいぶい言わせてるようなハコが好ましいです。そういう作りの映画なので。  「IMAXのいちばん前の席で見て正解!」(木場ですが。川崎のいちばん前はスクリーン近過ぎてお薦めできませぬ)みたいな、私のようなバカも大満足の逸品でございました。
[映画館(字幕)] 10点(2013-12-13 22:00:22)(良:2票)
510.  ペコロスの母に会いに行く 《ネタバレ》 
 母の波乱に満ちた時期を演じた原田貴和子の存在感が光る作品でした。理不尽な物事に対して立ち向かう強い女が後半に見せる弱さ、その儚く脆い感じが美しく。  また、フレームの中にフレームを作って被写体を切り取ったり、重なるランタンの光の中に捉えたりと印象的な映像に溢れていて。   だけど、映画自体に対しては作り物めいた、これは何か微妙に違うのではないか?という違和感を抱き続けた感じで。  それは単純に、実際に認知症を患った親の介護を経験したという、そのフィルターを通して見てしまったがゆえ、ではあると思うのですが。   介護や認知症の問題について鋭く斬り込んだ映画でないのは確かです。歳を重ねるに従って重みを増す生の姿を描いた、それこそ「生きねば」な物語。   けれど反復するように羅列されるボケエピソードに「現実には存在しなさそうな面白い人々」が重ねられてゆくほどに(ほら、ハゲのイコンとしての竹中直人をそのまま使うでしょ)「特異な他人事」っぽい世界が構築されていくようで、結果的にここだけで閉じてしまうようで。   もちろんそこには普遍的な「時代を生きた生」がありますが、これからリアルにそこに立ち向かってゆかねばならない人々に対して示すものからはちょっとズレた感じがするんですよね。これはこれ、それはそれ。そんな感じ。   あと、原爆~赤線~友人の死という事で見ていて『この世界の片隅に』を連想しちゃったんですけれど、それは、まあ、たまたまかな。
[映画館(邦画)] 6点(2013-12-11 21:49:21)(良:1票)
511.  47RONIN 《ネタバレ》 
 メンド臭いんでcocoに書いた文を引用。   渋谷で『47RONIN』。時代劇ファンタジーとしてワリと楽しめた。これはこれで。「日本人として~」なんて文句言うほどご立派な日本人の自我がある訳でもないしねw キアヌがあまり目立たないのが難点。凛子&コウちゃんが良いね。   つまり「お前ら最近国内のガキか年寄り向けの安い映画ばっかで、戦争映画も怪獣映画も時代劇ファンタジーも撮れなくなっちゃってるから俺らが作ってやんよ!」ってハリウッドが親切心出して作ってくれたのが『硫黄島からの手紙』であり『パシフィック・リム』であり『47RONIN』なんだよ。  【補足】  まあ、そこそこなんですけどね、じゃあ最近これより面白い国産時代劇ファンタジーってあった?っていう。『忍 SHINOBI』とか『GOEMON』とか『カムイ外伝』とか?  キアヌと端役以外は日本人キャストばかりで(みんな英語喋ってるけど)意外とちゃんと作ってる感があります。  安定とか保守性とかを象徴するために画面をシンメトリーにしたり、勢力を青と赤に色分けしたり。  そして何と言ってもその精神性を決して馬鹿にしてるわけじゃない作り方ですしね。   「親切心」ってのはもちろん皮肉だけど、これを楽しめないと言うのならば、むしろこういうのをこういう形でしか見られない現状を嘆くべきなんじゃない?
[映画館(字幕)] 6点(2013-12-08 14:55:30)
512.  もらとりあむタマ子 《ネタバレ》 
 父が写真を見て笑いだすシーン、その写真が一体どんなものであったのかはもうちょっと後になって明らかになるわけで、こちらは映画を遡って思い返す事で父の笑いの意味を理解できるのですね。  そこに焼き付いたのは無愛想で横着でだらしなくて無表情なタマ子が、外に出るため、状況を変えるために作った精一杯の笑顔。   ただ食べて食べて食べて続いてゆく日常。そのユルさと、心地よさと、そしてそれじゃダメだって意識と。   家では勝手気まま(に見える)なタマ子が外では卑屈になったり、心を許した人間に対しては饒舌になったり。胸に色々抱え込んでいる様子が伝わってきて、短い上映時間の中に細かく織り込まれた「生」が楽しく切なく溢れ出します。  エピソードを演技を上手にすくい取り、タマ子の何気ない日々が等身大の存在を形作り、1つ1つを思い返すごとに人間タマ子が見えてきて、どんどん愛おしい映画になってゆきます。   前田敦子がとても魅力的にタマ子という個性を創造していて、女優としての彼女にとってとても貴重な一編として刻まれたのではないかと思います。   見終わった後からじわじわと染みてくる印象深い一編でした。
[映画館(邦画)] 8点(2013-12-04 21:24:36)(良:1票)
513.  パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海 《ネタバレ》 
 内容的には前作が「なんじゃこりゃ」って状態だったので、今回は予め覚悟できてた感じで。   今回もまた神々の子の話なのにアメリカローカルです。「魔の海」って言ったってフロリダ沖でのお話し。地球の危機、人類の危機って言いながら、ごくごく狭い範囲で戦ってまーす、って状態は相変わらず。  ただ、今回の方が神様っぷりは激しく薄まりましたが、ファンタジー色は濃くなった感じ。ポセイドンのもう一人の子や、森を守る木に転生した少女、機械仕掛けの牛、海馬等々、視覚的に刺激を受ける要素が多くて退屈はしませんでした。タクシーのところはちょっと『ハリー・ポッター』の空飛ぶ車やバスを思い出しましたが。   でも、やっぱり色々出た後での今更感は拭えないんですよね。魔法のアイテムを手に入れるために旅に出る、そのアイテムを奪い合う、もう何度も何度も繰り返されてきた物語。  それにクライマックスのクロノス復活部分、もう一刻を争う状況なのにそれを忘れて再会を喜んでたら復活しちゃいましたっていうマヌケなパターン、ああいうのはもう無しにして欲しいところです。いや、クロノスが復活しないとクライマックス丸々飛んじゃうんですけど。   あと、パーシーが前作にも増して主人公の顔してないジミな感じになっちゃって。お前さんが英雄役でいいのかいな?敵やライバルの方がカッコいいじゃん、みたいな。   ここから更なる続きが見たい!ってほどのモノではなくて、前作も見たからなんとなく惰性で見ました、って状態ではあるのですが、予め作品の器のサイズを認識していれば、そう失望することもない、といったところでした。   もっともこの映画に(原作に、ではなくて)続きがあるとは思いませんでしたが。『ダレン・シャン』や『ライラ』『エラゴン』なんかの仲間入りかと思ってましたわ・・・。
[映画館(字幕)] 5点(2013-11-21 22:26:54)(良:2票)
514.  トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part 2 《ネタバレ》 
 ヴァンパイアと人狼との三角関係、ラブラブ描写の「うふふあはは」が本体で、戦いの部分はオマケみたいなシリーズの完結編、ですがさすがに最終作後半部分だけあって、やっとこさ敵が具体的に動き出します。かなり遅かった気がしますが。   遂にヴァンパイア化したベラの特殊能力を見せたり、ヴァンパイアと人との間に生まれた子をめぐって迫る危機が不安感を煽ったり、おお、この延々ヌルさを見せ続けたシリーズもいよいよ「うふふあはは」を捨て、ホラーアクション大作としての盛り上がりを見せる時が来たか!と。   そのクライマックスの闘いは凄絶で、ヴァンパイアと人狼が入り乱れ、敵対するヴァンパイア達双方の首が次々と斬り落とされ、これまで親しんできたキャラが次々と最期を迎え、これで完結編に相応しい終わりを迎えるのだな、と思ったら・・・椅子から滑り落ちそうな脱力系のオチを用意して下さいまして、あー、そうそう、あくまでヌルくてナンボでございましたね・・・って。   でもまあ、その「実際には存在しなかった戦闘」を映像化してみせてくれた訳ですから、一応、娯楽映画としての「気合い」はこもっていたワケですし、みんな幸せに暮らしました、ってところに収まる事こそがこれまでのヌルさから言っても相応しいのでしょうし。アリスと敵の親分さんとの間のアレが納得できるのかどうかは深く考えるとちょっと疑問だったりもしますが。   それはアリなのかって感じのジェイコブのハッピーエンドフラグはともかくとして、ベラとエドワードが幸せになれて良かったんじゃないでしょうかね。身分の差、民族の差を越えて愛しあい結ばれた二人の物語、って事でこれって古典的な話だったんだねぇ、と。   私、なんだかんだ言っても、このシリーズ、ツッコミを入れつつ楽しんでましたが、日本ではトンと人気が出なくてシリーズを重ねるごとにどんどん劇場のランクが落ちていったのが淋しかったかな・・・
[映画館(字幕)] 6点(2013-11-21 21:37:00)
515.  サプライズ(2011) 《ネタバレ》 
 「もしもスプラッター映画のヒロインがまるで女ランボーか女ジョン・マクレーンみたいな存在だったら?」ってオハナシ。   そのアイディアのために殺人鬼は複数にしなくちゃならないわ、陰謀が渦巻いていて予定が狂っていく過程を描かなくちゃならないわ、加害者も被害者も頭悪くて弱くなくちゃならないわで、ホラーとしては腰砕けまくってます。   殺人が起きた直後の部屋にまだ犯人が潜んでいる恐れを誰も抱かず(悲鳴を聞いてすぐ駆けつけたというのに)、犠牲者は都合良く頭の悪い行動を取って単身殺されに赴き、殺人犯は誰か?というのは映画の中程でほぼ明らかにされ、殺人犯達の肉体的、精神的な脆さが描かれ、それはもうコメディに片足つっこんでしまっている状態。もう非常にヌルいわけです。   ただ、ヒロインが殺人犯に立ち向かってゆくシチュエーション、イケイケ(死語)な強さは楽しめました。ぎゃーぎゃーと大騒ぎな連中の中で一人冷静に行動し、敵を一人一人血祭りにあげてゆくという反撃ホラーは、初代『エルム街の悪夢』のクライマックスでのフレディとヒロインとの闘いを拡大したような感じでワクワク。  あれで、もう少し殺人犯達に強さと神秘性があればもっと良かったのですが、むしろヒロインよりも弱い普通の人達です、って明かされちゃってますからねぇ。脚本にもっとヒロインの強さを際立たせるような工夫が欲しかったなぁ。   あと、ヒロインが仕掛けたアレがああいう形でしか作用しなかったのは残念でした。あれじゃ見てて気持ち良くないものね。   殺人鬼が動物の仮面を被っている意味が一切なかったり、母親の指輪のエピソードが意味がありそうで結局なんの意味も無かったり、なんか欠点とツッコミどころが多い映画なのですが、ホラー映画としてはともかくバカ映画としてはそれなりに面白かったんじゃないかと思います。
[映画館(字幕)] 6点(2013-11-21 06:49:44)
516.  悪の法則 《ネタバレ》 
 その「黒幕」が統べるように「七つの大罪」の一つ一つをまとったような存在として頂点に君臨し、それはまるで悪魔の具象化とも言えます。その影響や誘惑を受けた者がそれぞれに様々な形で罪を犯し、それが各々の破滅に繋がってゆく、そしてそれを予言するかのような象徴的なセリフの数々。そう考えるとこの映画、どうも宗教的な説教クサいシロモノって感じがします。   この世に悪魔ってモノが存在するのならば、それはやはり人の中から生まれるものですよ、発端はごく小さな選択であっても誤りは誤りであって、過程にいかなる分岐を持とうとも、到達する結果は最初の誤りが導くものですよ、自らの欲望は他者の欲望と決して調和する事なく果てなき諍いを生むのですよ、まあ、そんな映画。   作品世界はなんていうかハリウッド版『もう誰も愛さない』、あるいはセリフいっぱい版北野映画、もしくは残虐版テレンス・マリック映画みたいなもんで。  描かれる事自体はごくごく単純で特に難解ってわけではなくて、元々あまり物語のディティールなんかは伝えようとしていないように思います。   ひたすら鬱々とした展開が続くのですが、その魔性とか残虐性とかに何らかの抗い難い魅力があるのか?というとそうでもなくて、ただひたすらにグロテスクな生(或いは性)と死とがあるばかりで、それはリドリー・スコットって人のカラーなのでしょうかねぇ。『ハンニバル』や『ブラックホーク・ダウン』『プロメテウス』にも通じる、即物的描写が生み出す露悪趣味っぷりに辟易。主人公が受け取ったDVDの中身のように「見せない事で伝える残虐さ」もありはしますが、ならばそのスタイルを通しても良かったんじゃないかと。せっかく長々とセリフで説明しているのですから、それをわざわざ具体的に映像でトレースするのは悪趣味としか思えません。   大量の象徴的&説明的セリフに埋められる事によって逆に映画に生まれる隙間、その密度の無さを「独特の空気感」とか表現するよりは(元々そこまでのセンスを最近のリドリーが持っている気はしないんですよね)、なんか退屈なモン見たって言っちゃった方が私としては自分に正直かな。   見終わって「これからの人生、決して長くはないのだからなるべくならもうこういう映画は見たくないなぁ」としみじみ思わせてくれる作品ではありました。
[映画館(字幕)] 4点(2013-11-18 23:04:47)(良:1票)
517.  グランド・イリュージョン 《ネタバレ》 
 事前の知識が殆ど無い状態だったので、どういう映画なのか知らず、映画を見ている間も何が起こるのか、どういう展開をするのか、全く先が読めないまま翻弄され続け。一切ダレる事なく、次から次へと転がってゆく意外な展開を楽しませて頂きました。   マジックを素材にして、マジックに騙され翻弄されてゆく人々の姿を通して、観客は映画のマジックに騙され翻弄されてゆくという入れ子細工構造だったりします。   見終わってみるとツッコミどころはいっぱいありそうな気がしますが(実は事前に、あるいは他で事が起きている最中に行動を起こしたのでした、って解説してみせるけど、じゃあ、その後始末はどうしたの? バレないようにするにはあのまま放置ってわけにはいかないでしょ?)、モーガン・フリーマンの生き様みたいに、そこにあんまりこだわっちゃうのは不粋ってモンでしょうね。  明らかにVFXで、実際のマジックではそれって表現できないでしょ?みたいな演出もありましたけど。   日本にもマジシャンから転じて種明かしをネタにしているような輩も居りますが、そういう不粋で悪趣味なヤツの鼻を明かしてみせるところ、スカッとしました。モーガン・フリーマンに比べると、マイケル・ケインはちょっと可哀想かな。   最終目的のアレがファンタジーしちゃってて、意味がなんかよく判りませんでしたけど、多分大して意味はないのでしょうね。4人にとってはそこに到達する事自体に意味があったんじゃないかな。   主役級の存在なのに最後までつかみどころのない4人がひたすらカッコいい、中身なんて無に等しいけど、それで十分な見世物映画って感じでした。
[映画館(字幕)] 7点(2013-11-14 21:45:20)(良:2票)
518.  清須会議 《ネタバレ》 
 多分、歴史上の人物にそれなりの知識があれば楽しめるのだと思います。大して知識のない、そして登場する人物に全く自分なりのイメージを持っていない浅学な私にとってこれはテンポの悪い間延びした退屈な会話劇。   役者に頼り過ぎなのではないかなぁ、とは思います。三谷作品お馴染みのメンバーが醸す(ハズの)独特の「味」に期待し過ぎちゃいませんか、って。  タイトル以前の、戦についてはひたすら絵巻で見せる部分以外は特に魅せる映像があるわけではありませんし、軽妙にも重厚にも寄らずになんだか中途半端な状態が続くような感じ。   大体、それぞれの役者さん達の面白味は、それぞれいつもの人物というかキャラが出たところで醸されるような気がして、映画上の人物像を創造しているというよりは、その人が演じている事による面白味を味わう、つまりかくし芸大会みたいな印象があります。  場内が最もウケたところはゲスト的に他映画のキャラが登場したところなわけで、つまりはそういうオールスターかくし芸大会ノリを期待してたり、それを狙ってたりもするのかなぁ、って。まるで「コレ面白いでしょ?」ってノリで作ってるみたい。  私としてはここに登場する人物の誰にも心を寄せる事ができず、手前勝手な人々の混乱劇(まあ、三谷作品がいつもそうであるように)として最後まで流れに乗る事はできませんでした。   ただでさえヘボい映写のTOHOシネマズ渋谷で更に室内の暗い画面が多いために平板で見辛い映像の連続する状態で、たまに屋外の明るいシーンになると目と脳が安心するという、視覚的ストレスの多い映画でもあって。   人がいっぱい出てきてわーっと騒いで、っていつものパターンを、でもキレイにまとめてる感じは毎回しないんですよね。この人の作品って物語よりも細かい断片にこそ命があって、それを大量に網羅してこそ、って感じなのかな。それも今回は間延びした対話によってスポイルされているように思いましたが。   とにかくこの人の映画、毎度長過ぎ。映画ってお芝居みたいに舞台と客席とが同じ時間を共有して緊張感を保ってる状態とは違いますからねぇ。今日、上映中に30人くらいトイレに立ってましたよ・・・
[映画館(邦画)] 4点(2013-11-12 20:35:14)(良:1票)
519.  42~世界を変えた男~ 《ネタバレ》 
 「かつて実際にあった感動的なお話し」で閉じてる気がするんですよね。今もなお存在している差別に繋がってない感じ。   差別を描いてきて最後にそこで終わるか、と。まるでかつて差別がありました、でもあの一発のホームランによってその歴史は終わったのです、とでも言いたげな。  まさかあのいかにもな感動的スローモーションワールドで終わっちゃうとは夢にも思わず、エンディングに突入しちゃって唖然、全然食い足らないんですけど!って思ってしまって。   八方美人的な作りの映画の中で、ぽろりぽろりとこぼれ落ちてしまっていると思ったものも。あのホテルの一件の後、結局選手達はどうして、そしてあのホテルはどうなったの?  結局最後まで特に役に立った感じはしなかった、あの頼りなげな監督を引き入れる描写があんなに必要だったの?   大体、この映画の中で最も感動できるのは、映画が終わって最後に彼の偉業を讃えた文字が流れるところだったりして。「文字」で感動を伝えられたのならば、じゃあ「映画」は一体そこまで何をやっていたのだろう、と。その文字のための映像だったのかなぁ。   今もなおネットにはあの監督よりも酷い差別の言葉が大量に並んでるわけじゃないですか。人は歴史からなーんにも学ばない。で、そこに少しでもガツンと拳を振り下ろせるような映画だったか?っていうと、そんな事は無くて、なんだかサラリサラリとキレイなばかりの映画だったような気がしてしまいました。
[映画館(字幕)] 6点(2013-11-10 15:08:55)(良:1票)
520.  劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語 《ネタバレ》 
 まあ、つまり『ビューティフル・ドリーマー』なんですけど。   その世界、あえて『まど☆マギ』で正統派魔法少女モノをやってみました、っていう冒頭部分の違和感、だけど意識下でほむらが望んだソレは、みんなが見たかったソレなのかもしれません。アンソロジーものが悉く幸せで明るい魔法少女を描いているように。  つまり、あの世界に閉じ込めているのはほむらの意思であると同時にそういうヌルさを望むファンの意思でもあるようで。   いよいよメタものとしての色が強くなった映画新作は、そう考えると後半の徹底的な世界の破壊と明確な偽りの世界への再生がやたら皮肉に満ちたものに見えてきます。  まどかの幸せを心から願ったはずのほむらの気持ちは、しかしここに来て世界を包むエゴの塊へと置換され、これまでの物語の全てがほむらのエゴに内包された存在に過ぎなかった、キャラ達を翻弄する真因と思われたインキュベーターですらも抗えず支配された憐れな存在へと堕してしまうこの到達点は、前作の極端な、でも「どうにも納得のゆかないハッピーエンド」を更に超越してゆきます。   それに失望や絶望を抱いた方が健全なのかもしれません。ほむらの選択によるオチ(エンドクレジット後の映像まで含んで)を「最高に幸せなバッドエンド」として感じてしまえたとするならば、それは色々とこじらせているようなカンジで。これは観客に突き付けられたリトマス試験紙みたいなものとでもいうのでしょうか。   個人的にはそれに納得できてしまいましたし、とても心地よかったりもしたわけですが・・・    マミさんと劇団イヌカレーいっぱいだったしね。
[映画館(邦画)] 7点(2013-11-06 21:46:41)(良:1票)
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