SCAT/くちずさむねこ(2007)

 

インセプション(2010年【米・英】)

何か月ぶりかの2連休で「さあ映画でも見ようか」というタイミング。最初は『イーグル・アイ』を選び、タイトルが入る前に「いや違うな」と思い直して『珍遊記』を選び、1分見て「予想はしてたけどやっぱりおゲレツ」と思い直し、ずっと以前から課題にしてあった本作をポチっと。
正直クリストファー・ノーランはあんまり好きじゃなくて、あの、適度に複雑な構成はいいんだけど、グッと拳を握りしめたくなる何かが欠けるとこが、致命的に点を落としてきた(『ダークナイト』での、本当は主軸になるべきトゥーフェイスの軽い扱いとかね)。
でもこの『インセプション』は、そういうノーランの欠点そのままに、「最強の編集力」という得意分野で徹底して攻め切った潔さに好感を持ちました。

ズバリ、前半はハリウッド流の『隠された記憶』(本作の5年前に製作)。夢と現実を区別しないカッティングで、画面が切り替わるたびに「これがリアルなのかフェイクなのか」という問いを発し続け、結果的には観客の脳内に異様な緊張感が持続するようになります。まあハネケはノーランがやった数百分の一の予算で同じ緊張感を醸したわけですが、エンターテインメントじゃないからね、アレは。
ちょっと話はズレるけど、コーエン兄弟の『ノーカントリー』もハネケ作品を意識した結果誕生したと思ってまして(ハネケ翁はタランティーノやロドリゲス作品に批判的なので、それへの反感とチャレンジ精神があると思います)、2000年を過ぎてからのハリウッド映画の新語法になってるよなあハネケ翁…とか思います。
自分映画鑑賞史的にも、『隠された記憶』以前/以後というラインがあるのを、本作の鑑賞でまざまざと思い起こさせてくれました。一度映画に没入したら、全シーン・全カットを記憶に留め、映像のはるか上層で監督と対話し続け、画面の意味や意義を汲み取っていく…ただの受け身観客・ケチ付け要員から、それができるようになったステップアップが、ハネケ作品体験で起こったコトだったと思います。
いや本作は別にハネケと直接的な関係はないので、ただの余談ですが。

後半。
4層の夢が平行にカッティングされる様は、まさに「21世紀のイントレランス」という感じで、大嫌いなあの作品もこういう大仕掛けの下に作られていれば傑作になったんだろうなあ、としみじみ感じました。別にサイコダイビングなんて設定じゃなくていいんです。これは話中話、入れ子状になった物語構造を横串で突き通す、そういうイベントの世界間横断の力が凄いんです。
しかも、最初の夢から「もうこれダメじゃね?」っていうような失敗フラグが立ちまくり、そもそも冒頭でやんわりとサイト―が陥った絶望的な状況が示唆されているわけで、このあたりの絶望感も、いい意味で物語の足を引っ張って、緊張感を出してくれてました。

減点理由は、

ざっくり計算で200年の時間を孤独に過ごしたはずの、コブのアドベンチャーっぷりが描かれないコト。
ここは十分壮大な展開のはずなんですが、ノーランの性格からするとここは気付きながらもあえてパスしたんだろうな…と思います。なんでかこう、小ぢんまりとまとめたがる御方でです。
やっぱり性には合わないんだよなあ、根っこの部分では。

役者はノーラン作品だけあって、全員安心の出来。音楽も非常によろしい。
いつか『インターステラー』に進んだ時には、このあたりももう少し踏み込んでみようかな、と。

こっから下、もう明らかなネタバレになるのでネタバレ有無変更しました。

あっれー?
またまたみんなのレビュー見てて気になる点が…。
「夢の中に入って云々」っていうSFな設定自体が、夢の産物じゃないかってコト、ほとんどの人は不安に思わんのかなあ。
その不安とともに劇場を後にさせる点が、この映画の醍醐味じゃないかと思うんですが。
まあディック系の作品(『わが涙流れよ、と警官は言った』あたりが特に)読み慣れてないと、アレなのかもですが。まさに本作と同じ『死の迷宮』っていうディック作品があって、もうラストは「夢の方がよかった、でももしかしたら現実だって」という宗教的な救いに行っちゃうあたりがすんごい泣けます。そこらへんを意識して観るか観ないかで、鑑賞中の緊張感がガラリと変わります。あ、『マルホランド・ドライブ』も同じかな、夢/現実の切ない対比って意味では。
「もう一層上の、コブの『真実』の姿はどうなのか」を想像しながら観ると、けっこうドキドキ・ホロリと来ますよ。
評価:9点
鑑賞環境:インターネット(字幕)
2017-03-05 14:49:16 | 実写作品 | コメント(0) | トラックバック(0)