SCAT/くちずさむねこ(2007)

 

心に残るあのシーン・序

映画を精力的に観なくなってから、8年くらい経つ。
元々は、3~4年くらい真剣に観すぎてた結果、視力がガクンと落ちたのにショックを受けたからなんだけど。ほぼ指と目が商売道具と言っていい業界なので、「テキトーに観て量をこなすくらいならやめる」って思ってました。
ところが、映画を観るのをやめても、意外に覚えてるシーンは覚えてて、それが名場面かというとそうでもなく、その映画の本質部分を見抜くためには、ある程度時間をかけて「自分が観たもの」を探っていくコトが重要、というのがわかってきました。

例えば。
今でも悩み続けてる筆頭のシーンが、『佐賀のがばいばあちゃん』で主人公が食事を終える場面。
とにかく、さらに残ったサンマの食べ方が汚い。
普通の映画なら、キレイに残ったサンマの頭と背骨だけにするだろうし、そもそも魚を食卓に上げない選択肢もある。だから、ここは「あえてやった」と考えるべき絵作りです。
ところがこの作品のばあちゃんは、そんな甘いしつけをするような人間とはとても思えないヒトです。対外面とかの礼儀とかは置いといて、筋はキチンと通すお方。映画中の他のシーンで暗示される情報から推測するに、多分、この家は町の名家。しかもおそらく士族の家系で、戦前は町内で慕われる立派な家柄だったはずだと思っています。それが戦後の農地解放やらで零落していき、磁石を腰に結んで表通りを歩く姿に…町の人々が、ばあちゃんを直接助けられないけど主人公には過剰なほど優しく接する理由の一端が、そこに垣間見えるわけです。
この、全編に渡って無罰的な、不幸の中の幸福を浮かび上がらせる構成の物語の中で、あのサンマだけが、居心地のいい零落名士の世界を汚している。しかも間違いなく、監督の計算づくの意図的なやり方で。
そこの意図がわからずに、今でもサンマを食べるたびに、あのシーンを思い出し、監督の配した仕掛けの意味を何とはなく意識下で探し求めています。

そういう、何年たっても脳裏から離れない、自分の映画記憶のトゲのようなシーンをこのカテゴリーでまとめていく予定です。
しっかし本当に、全然たいしたコトないお子様向け映画『佐賀のがばいばあちゃん』に、10年も悩ませられ続けることになるとは。
当時は予想もしなかったですよ…。