2.劇中、“二つの棺”が運ばれていくシーンが、序盤と終盤に対比的に描かれる。
一つは、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの棺。そしてもう一つは、“JFK”暗殺の実行犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドの棺だ。
両者の棺を運ぶ者の心情は大いに異なるはずだが、その様はどちらもややぞんざいに扱われているように見える。
そこには、「この棺を運びたくなんてなかった」という、同じ言い回しだけれど全く真逆の意味合いを持つ、それぞれの死に関わった人々の感情が漏れているように見えた。
英雄の暗殺と、その実行犯とされる者の暗殺。この二つの死が人々に与えた影響はいかなるものだったのか。
今作は、偶然にもそれに関わってしまった人たちの心の損失を描き出している。
「JFK暗殺」を描いた映画は多々あるが、この作品の視点は意外にも新しく、それでいて真っ当だったと思う。
他の多くの作品が暗殺にまつわる陰謀説を主軸に描いているのに対して、今作はあくまでも事件現場となった街に居合わせた市井の人々の様を描いている。
そういう意味では、JFKの実弟であるロバート・ケネディ上院議員の暗殺事件を描いた作品「ボビー」にとても良く似た映画だったと思う。
稀代の英雄の死を目の当たりにした人々にとって、本当の犯人が誰かなんて追求する余裕はなかっただろう。
自分たちが住んでいる場所で、世界で最も重要と言って過言ではない人物が殺されてしまった。
ただひたすらに、その悲しみとショックに打ちひしがれるしかなかったのだろうと思える。
その人々の動揺と混乱の中で、もう一人の男が“真相”と共に闇に葬られた。
その男にも勿論家族がいて、市井の人々以上の動揺と混乱を強いられていた。
彼らの死から50年が経過した。
数多くの疑惑と陰謀説は渦巻き続けるが、いまだ真相は闇の中。
いつの日か時代は真実をさらけ出すことが出来るのだろうか。