2.「脅威」に対する人間の無力と儚さ。だけれども、一時でも長く生き続け、存在し続けていたいという切望。
廃すてられた場所に眠る思いを汲み取り、悔恨が漏れ開きっぱなしになっていた“戸”を締めるという行為が織りなすファンタジーは、想像以上に「現実的」で「普遍的」だったと思う。
現実社会における災害やそれに伴う悲劇を果敢に題材として取り込み、秀麗なアニメーション表現の中で描いた試みと、ストーリーテリングの方向性自体は、間違っていなかったと思う。
ただし、その結果が、映画としての面白さや、オリジナリティとして結実していたかというと、必ずしもそうではなかったと思う。
我が子二人と連れ立って劇場鑑賞して、決して残念な映画ではなかったし、無論観たことを後悔する類いの作品ではない。
この国のアニメーション監督として紛うことなきトップランナーである新海誠の作品である以上、見逃すべきではない。
ただそれ故に、その新作に対しては、高いハードルが用意されることは避けられない。
社会現象ともなった「君の名は。」、そして個人的にはそれ以上の傑作だと確信した「天気の子」。
本作は、その過去2作とも時代背景を共有しており、「災害」という共通のテーマを扱っている点を踏まえても、三部作の一つとして捉えられる作品だろう。そしてより直接的なファンタジー描写や、アドベンチャー展開など、三作の中でも最もエンターテイメント性の高い作品だったと思う。
ただ、何かが圧倒的に物足りなかった。それが映画的なエネルギー不足に直結しているように思えた。
それは何だったか?
上手く言葉を選べていないかもしれないが、個人的な感覚から浮かんだことは、“エゴイズムの欠如”だった。
僕が新海誠の過去2作品から得たエモーショナルは、主人公たちが発し貫き通す圧倒的な“エゴ”によるところが大きい。
流星が町に降り注ぐその間際であろうとも、ようやく訪れた焦がれた相手との逢瀬に没頭し、過ぎ去った時間すらも覆す。
この世界の理も仕組みも無視して、無責任だろうが、独善的だろうが、世紀の我儘を押し通す青臭さ。
不可逆を覆そうとも、世界が水没しようとも、それでも「大丈夫だ」と言い切る若い生命の猛々しさと瑞々しさ、それをまかり通すアニメーション映画のマジックに僕は感動したのだと思う。
そういった映画的なエゴイズムが、本作からは薄れてしまっているように感じた。
それはもちろん、現実世界の災害や悲劇を取り扱ったことによる真摯な態度とも言えよう。
でも、それによって映画的な面白さが表現しきれないのであれば、本末転倒であろうし、その題材を取り扱う意味が果たしてあったのかとも思う。
自然災害をはじめとする脅威に対して人間は為す術もない。特にこの十年あまりの時代の中で、この国の人々は改めて痛感している。
そういう現実がある以上、安易なハッピーエンドなどは描くべきではないだろう。
しかし、それが現実だからこそ、せめて映画世界の中では強烈なエゴイズムを貫き通す人間たちの姿を見たいという思いも、今この世界の多くの人が秘める思いではないか。
本作の主人公たちが何も成し遂げていないなどというわけではもちろん無い。
けれど、悲劇的な現実を超越するほどのマジックは、この映画から感じることはできなかった。