8.ものすごく好きだった映画なんですよね、これ。どれくらい好きだったかって言うと、封切り時に何回も何回も映画館に観に行き(映画館で観た回数としてはこれか「恋空」が圧倒的に一位)、それだけでは飽き足らず、撮影現場の尾道まで何百キロもバイクで行って実際に映画に出てくる坂道を走って感激した、それくらい好きな映画「だった」んですけどね。(その時はあと、「さびしんぼう」のお寺に上がりこんで御住職のお話しを伺ったり、同じく「さびしんぼう」に出てくる商店街を歩いたり、あるいは「時かけ」の家を眺めたり、「ふたり」に出てくる渡し船に乗ったり、今思い出しでもちょっと胸が熱くなるくらい楽しい旅行でした。閑話休題)
ただ、長い年月を経て今観ると、う〜ん、どうなんだろう。少なくとも絶対、人にお勧めできるレベルの映画じゃないなあ。
まず、後半の原作にないオリジナルな部分の脚本。確かに原作のままじゃあまりに起伏に乏しくて映画として成立しないのは、理解できる。
しかし、何なんだろう、あの無理矢理な盛り上げ、クライマックス。少なくとも脚本書いた人が片岡義男を理解してないことだけはわかる。(じゃあ、おまえは理解してるんかって突っ込まれると困るけど(笑))
それから、高柳良一さん、俳優業は学生時代のバイトとスッパリ割り切って(だから上達する努力とか皆無だったんだろうな)卒業後はおそらく上手く作ったコネで一流企業に就職、現在は部長、そのとても上手な人生設計とは真逆にそして致命的に下手な演技、台詞回し。彼が大林映画に残した傷跡は大きいなあ。画面に出てくるともう映画とは別の世界に(笑)
片岡義男の「かっこいい」世界を表現しようとして空回りしてダサくなってる演出も困ったもので。
封切り時に失笑が客席から聞こえたくらいで。
原田貴和子さん、嫌いじゃない、決して嫌いじゃない。でもこの映画ではあまり美人に撮ってもらってないんだよね、大林監督にしては珍しいなあ。
なんかけなしてばっかりになったけど、台詞を覚えてしまうくらい自分という人間に染み込んだ、楽しい思い出と結びついたかけがえのない映画。
軽く追記 上で喜和子さん、美人にとってもらってないって書いたけど、実はかなりブサイクにしか撮れてない。
しかし、声と雰囲気がとてつもなくいいんだよねえ。彼女が歌う主題歌がデジタルになってなくて残念。
でも、つくづく大林って雰囲気名画しか取れない監督。