9.過去の様々な“風評”を見聞きする限り、ゴジラシリーズきっての“とんでも映画”なのだろうと高を括っていた。
大体、「息子」って何だよ!?という話である。
「ゴジラ」という怪獣の存在性を完全に無視した明らかな茶番的設定は、長らく敬遠せずにはいられない要素だった。
しかし、実際に観てみると「おや?」と思った。平日の深夜に観始めて、いつ眠くなっても良いやというスタンスだったのだが、意外にもまどろみも無く最後までしっかりと観られた。
やはりゴジラに息子がいるという設定はチャンチャラおかしいし、ゴジラ版ファミリー映画のような描写も馬鹿馬鹿しいと思う。
この作品が「ゴジラ映画」として“間違っている”ということは確かだろう。
しかし、一方ではこの映画の娯楽性そのものは、公開時において必ずしも的外れではなかったのではないかとも思えた。
勿論、当時映画館で観た人々の中にも、同じような違和感や不満感を持った人は多かったろう。
でも、同時にこの作品が放つ「娯楽」をちゃんと楽しんだ人も多かったのだろう。
それはもはや価値観の違いに関係してくる。
これほどまで長い時間の中で、数多くの人たちに愛された映画シリーズだからこそ、「ゴジラ」という映画に求める娯楽性も人それぞれなのだと思う。
ゴジラやミニラの滑稽なビジュアルを今となって嘲笑することは簡単だ。
ただ同時に、クモンガやカマキラスの操演の見事さや、東宝特撮映画常連のオールスターキャストの豪華さ、前田美波里の美しさを堪能した方が有意義だと思う。
ラスト、熱帯の島が一転して雪に閉ざされていく中、寄り添い抱き合いながら静かな眠りに就くゴジラ親子の姿は、この時代の真っ当な娯楽性そのものに思える。