1.古くから自殺の名所として知られる富士山麓の青木ヶ原樹海を舞台にした群像劇。4つのエピソードから成るオムニバス作品だが、それぞれのパーツが微妙に絡んでいる点が、人間の運命の不思議さをまず感じさせる。各エピソードが前後しながら描かれていく構成は巧みで、長尺でありながら些かもダレる事なく興味を繋いでいく点では、実に効果的である。テーマは人間の「生と死」を見つめたものだが、決して陰惨な物語ではなく、「死」と対峙して始めて「生」の意味を知るという、むしろ「人生賛歌」という肯定的な意味での「再生の物語」だと言える。「生」の象徴である富士山が「正」のイメージならば、その裾野に広がる樹海はさしずめ「負」のイメージということになろうか。しかしながらこの樹海こそが「生命の宿る源」なのであり、生い茂った木々に抱かれて、人々は生まれ変われるのである。そういう意味においても、樹海はこれ以上ない舞台設定だと言える。映画の中で実際に自殺してしまうのは一人の中年男だけだが、この「田中さん」を演じる田村泰二郎の“死にっぷり”は見事(?)で、自分が生きてきたという痕跡を残すことで、死してなお人に知って貰いたいといういじらしさと、死にたくて死ぬのではないという深い孤独と哀しみを感じさせる。生き延びた萩原聖人のセリフ、“田中さん、臭いがきつくなってきましたヨ”などと、夜を徹してのこの「死者との対話」はアブノーマルながら、むしろ人生のしみじみ感を溢れさせている。そしてそれ以上に感銘を受けたのが津田寛治と塩見三省の居酒屋での芝居。二人の何気ない会話には、庶民のささやかな生活感というものが滲み出て、今まさに生きているという実感が込められて描かれている。時間の経過と共に徐々に客が少なくなっていき、やがてガランとした店内風景の描写。 そしてひとつのアクセントとしての、ぞんざいな女店員との間の取り方の巧みさ。店を出た後、意気投合した二人が調子外れで「遠い世界に」を口ずさみながら夜の町へ消えていくまでの一連のシークエンスと、小さく折りたたんだ虎の子の壱万円札への思いを鑑みると、新たな人との出会いと一期一会の切なさに、胸に込み上げるものがある。東京タワーの置物、ピンクチラシ、携帯電話、お供え物といった小道具も実に意味深く、また瀧本智行は初監督としての気負いをまったく感じさせず、ベテランのような充実した仕事ぶりである。