1.《ネタバレ》 仲間の決起に呼ばれず、今度はその仲間たちを敵として討たねばならない。殺すくらいなら死んだ方がマシだ・・・。
そう思い死ぬ道を選んだ男たちの話。それを仲間想いの志士と見るか、死に逃げたと見るかは観客に委ねられる。
小林正樹の「切腹」が言葉と“見せない”事によって語る映画ならば、この映画はその瞬間を徹底的に見せる事を選ぶ。ただただありのままを描く、セミドキュメンタリーのような描写。
漆黒の画面、巻物を広げる軍服の腕、「憂國」と英語のクレジット。
サイレン映画の体裁で、この映画は一切セリフを吐かない。うめき声一つあげず、ただ男が切腹をするまでの過程を描いていく。
「至誠」の掛け軸、着物姿の女、折り紙、筆、亡霊のようにまとわりつく男の手、両手が女をなぞる。女の記憶の中に刻まれた夫の姿。
鶴岡淑子が演じる妻は、三島由紀夫が演じる男を心から愛している。神棚に祈るように。
廊下で帰った夫を出迎える妻。
二人の男女の会話は徹底的に省かれ、思いつめた男の様子と事情を飲み込んだ女の表情だけがすべてを語る。
肩を引き寄せ、女の耳元に何かを話し、腹を斬る真似をする右手、その手を女は掴み自分の喉元に寄せる。女が振り返るのは、男に笑顔で応える瞬間。男女二人は最期の接吻を、最期の交わりを始める。
抜かれかけた刃で女は時が迫る事を理解する。
見詰め合う二人、何度も交錯する視線、抱き合う二人、死ぬ前の生きる喜び、死への恐怖とそれを味わってみたいという欲求。
髪をたくしあげ、女の表情をなぞり、男の肉体をなぞる手、指、喉、仰向けになる頭、脈打つ肉体。
女の乳房や肢体はほとんど映されない。生きている筈の肉体は性交で真の快楽を得ないのだろうか。一体何が楽しくて死の間際の快楽を求めなければならないのだろう。それは本当に死ぬ人間にしか解らない痛みだからだろうか。そうじゃない人間がそれを解るワケがない。
帽子によって影が落ちた男の顔。ハラは決まった。
死に装束をまとう女、ふんどし一丁に帽子を被り、軍服という“装束”をまとっていく男。
互いに遺書をしたため、神棚に祈り、視線を交え、別れの、最期の挨拶。
小太刀を抜き、紙を巻き、上着のボタンを外し、腹を出し、太ももの根元に先を刺して痛みを確認、腹にあてがった指の間から刃を腹に入れていく。
口元だけが激しく表す苦悶の表情。うめき声が聞こえんばかりの、震えながら刃を左から右に引いていく。
女の口元も振るえ、汗を、涙を流す。血潮が白い着物に跳ね、女は見届ける事しかできない、苦痛を変わってられない苦しみ。
肉体はうめき、腸が飛び出て、口から泡をふき、喉元に太刀を突き刺す。女は介錯でもするように男を引っ張り見届ける。
女は外の部屋に消えていく。
女を見届けるように自動で閉会する襖、照明、鏡を見て白粉をつけ、紅をさす。男が死ぬ間際も軍服で飾ったように、女も死ぬ間際に自分を飾って果てていく。
夫の血の上を歩き、帽子を先に逝った者にのせ、顔を袖で拭って綺麗にして弔う。
懐刀を抜き、切っ先を舐め、喉に突きさし果てる。文様が刻まれた砂の上。