1.少年と“異形の者”との邂逅と成長を紡いだストーリーは極めて有り触れている。その語り口自体も、とても稚拙で雑多だ。
映画全体が、綻びだらけで、決して「完璧」とは言い難い。
だけれども、涙が溢れて仕方がなかった。
特異なアニメーションが表現する多幸感と快感が、「音」のように、「水」のように、「光」のように、自由気ままな「形」で押し寄せてくる。
なんて自由!なんてアメージング!と、思わず叫びたくなった。
湯浅政明監督による“自由闊達”なアニメーションが、稚拙で綻びだらけのストーリーを繋ぎとめ、むしろそれこそがこの映画に相応しい物語性だと確信させる。
人間と人魚の交流を描いた物語なんて、それこそアンデルセンの「人魚姫」から、今年のアカデミー賞作品「シェイプ・オブ・ウォーター」に至るまで、世界中で何百通りも描かれてきたプロットだ。
そこにティーンエイジャーの成長端としてのジュブナイル性も加わった日にゃ、ストーリーの経路と行き着く着地点は目に見えている。
実際、紡ぎ出されたストーリーそのものに驚きは殆ど無い。
にも関わらず、観る者の心を掴まえて離さないこの映画の表現力、即ち、湯浅監督のアニメーション力は常軌を逸している。
と、この手の映画は言葉で語れば語るほど野暮になる。
要は、眼前に広がる「音」と「水」と「光」のイマジネーションの果てしなさを、感じられるかどうか。良い悪いではなく、それを感じられることができたなら、それはとてもハッピーなことだ。
僕としては、ハッピーな映画体験だっただけに、公開規模が小さくて、映画館で観られなかったことが一年越しで口惜しい。