2.日曜日の正午、あまりに眠たくて2歳の娘の世話を妻に任せて、居間のソファで居眠り。ふと目が覚めると2時間以上寝てしまっており、ちょうど帰宅した妻に呆れられた。
眠気が治まらぬまま反省しつつ、再び外出する妻をソファに寝転んだまま送り出した後、この映画を観始めた。
この作品における映画体験としては、何ともいいタイミングだったと思う。
お椀二杯で一人前の“夫婦善哉”のように、詰まるところ“良い夫婦”というものは、二人揃ってようやく一人前になるものなのかもしれない。
この映画に登場する“夫婦”の男女は、二人ともどうあっても結局のところ一人では行きていけない。
森繁久彌演じる柳吉は、どこからどう見ても大店のどら息子であり、駄目男ぶりが甚だしい。
淡島千景演じる蝶子も、しっかり者の人気芸者ではあるけれど、最後の最後まで柳吉無しで生きてはいけない駄目女だ。
駄目男と駄目女が連れ添い、愚にもつかないすったもんだを延々と繰り返す映画である。特筆する程のストーリー的な面白味もあるとは言えない。
しかし、この映画が多くの日本人に愛されている映画であろうことは容易に理解できる。
やはり魅力的なのは、駄目男と駄目女の主人公夫婦に他ならない。
つくづく愚かな二人なのだけれども、どうしたって彼らのことを憎めるわけがない。
その理由は明らかで、この二人の姿こそ、世の中のすべての男女が持ち得る愛すべき愚かさだからだ。
どんな男も柳吉のようになろうし、どんな女も蝶子のようになり得る。
この映画を観た多くの人が、「馬鹿」と蔑みつつも、どこかこの二人の“寄り添い”に憧れを抱いてしまうのだと思う。
中盤、何度目か知らないが愛する男が再び自分の元に帰ってきて、女は心から喜ぶ。
お互い軽い悪態をつきあいつつ、女は真っ昼間なのに部屋のカーテンを閉める。
男は勘弁しろよという表情だが、実のところまんざらでもなさそうだ。
森繁久彌、淡島千景、二人の名優の一挙手一投足を含め、このシーンの総てが可愛過ぎる。
さて、僕自身、決して甲斐性があるわけではないので、せめてこの映画の夫婦のように愛らしい二人で居続けたいものだと思う。
「頼りにしてまっせ」を連発しつつ。