2.《ネタバレ》 以前どっかの雑誌で、ある脚本家が「西部劇をベースにしているようだが、最後まで主人公が銃を抜かないから完全燃焼できていない」と酷評していました。
確かに、この教師の駒の進め方は「シェーン」や「用心棒」と同じですが、このストーリーで一番変わらなければいけない人物は、生徒の園部少年だということを理解しなければいけません。
「いじめ」という、今ではもう使い古されたテーマを被害者が存在しない形で描いていく、ちょっと変わった展開は、作り手としては難しい挑戦ではなかったのでしょうか?
毎朝、机に向かって「おはよう。野口君」と声を掛ける村内先生は、ちょっと嫌味に感じる人がいるかもしれません。教室内が緊張感漂う空気になるのは仕方がないことです。
最後の授業で任意で原稿用紙を取りに行った生徒の人数はとてもリアルだと思います。
私は今までいじめなんかしたことはない。そう思っている人には理解できないでしょう。
園部少年が村内先生に罪の告白をした後、遺書に書かれた三人目が自分でなかったことを知り、更に井上少年とも和解して、全てが終わったと思ったら、最後の授業がコレです。
今更反省文を書かなければいけないのか……彼が戸惑いながらも原稿用紙を取りに行き、自分がズルくて卑怯な人間であると正直に書き綴ったときは涙が止まりませんでした。
私自身、学生時代、今でも腸が煮え繰り返るほど傷つけられた経験がありますが、と同時に私も無意識に誰かを傷つけていて、もしかしたら、私のことをずっと恨んでいる人間がいるかもしれない。そんなことを思わずにいられなくなる作品でした。
テレビで頻繁に宣伝されている「お涙頂戴」的な映画とは一線を画す、価値のある映画です。