1.《ネタバレ》 声優が一新されてからのドラえもん映画は、常に「のび太」という11歳の少年のメンタリティに寄り添うかたちで創られている。この少年の、11歳という年齢だけが持つ「まっすぐさ」、たぶんそれだけを(とは、まぁ極論だけれど)描こうとしているのだと思う。
そして映画の中で、のび太は、自分にとって“何より大切なもの”のために、11歳の男の子としてのありったけの努力と勇気をふりしぼって、その“大切なもの”を守り抜こうとする。その時ジャイアンやしずかちゃん、スネ夫たちもまた、のび太といっしょにがんばり抜き、最後まで行動をともにするだろう。彼らは、「友だちであり続けること」というもうひとつの“大切なこと”のために、やはり「まっすぐ」がんばるのだ。そう、友だち同士(=同志!)として。
だからドラえもんも、映画では、“頼れる存在”というよりあくまでコメディリリーフ的役割というか、のび太たちを「あたたかい眼(笑)」で見守る立場だ。特に今回の映画では、ひみつ道具すらあまり登場しない。その分、のび太たちの「まっすぐ」ながんばりがクローズアップされることになる。・・・そのことに、いいトシをした親父であるぼくは感動し、不覚にもナミダしてしまう。
確かに、植物星人たちが地球を攻撃する後半は、いささか状況が分かりにくいかもしれない。でもその中で、のび太がキー坊を懸命に助けようとする姿と、それを見た植物星のお姫さまも手助けしようとする、この場面にこそ、映画版ドラえもんを貫く主題ーーと言って大層ならば“精神(ハート)”があるにちがいない。そう、ドラえもんの道具でも、悲壮感たっぷりのヒロイズムでもない、「ぼくにはこれしか出来ないから…」と大切なものを守ろうとする11歳の少年の「まっすぐさ」こそが、世界を救うことになるのだ。その、何という清々しさ・・・。
そうした「11歳の心(ハート)」を、「まっすぐさ」という彼らの〈倫理〉をドラえもん映画が失わないかぎり、ぼくもこのシリーズを見続けていこうと思う。どんなにトシをとろうとも、のび太たちの「まっすぐさ」を見守り続けることは、子どもたちにとってはもちろん、大人にとってもまちがいなく大切なことだから。
以上、レビューというよりひとり語り、スミマセン・・・。
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