1.《ネタバレ》 たとえば、トリノの広場での「ニーチェと馬のエピソード」の描写が、続く「ただ馬が嵐の中を突き進むシーン」と響き、尋常でない迫力を生み出している。そのような各シーンの響きが最後まで途切れずに続いていった。
正直なところ、この映画のシナリオにはつまらない発想が多い。じゃがいもを食べる量が減っているだとか、酒を飲む量が増えるなどといった方法で反復性からの脱却を示唆するのはあまりに勿体無い。このことは映画の中核を担う「終末への過程」についても同じように言える。反復性というのはそれ自体が幻想なのだから、一見変化のない生活であっても絶対的な意味で全く違ったものなのだ、という地点で看破されるべきだ。そうでなければ「ニーチェと馬」のエピソードを引用した意味がない。
ただし確かにこの映画に描かれた中には無為な生活を不満も言わず繰り返す父娘というイメージがはっきり描かれており(枯れた井戸を見て「ちくしょう」と呟き面倒臭そうにきっぱり移住の準備をしては、結局諦めて戻ってきたり、突然世界が暗闇に包まれても寝ようと呟きベッドに潜り込んだり)それがある意味で終末をも、終末と感じさせないところで本監督の意図したかもしれない結末とは違った奇跡的な「永劫性」を導き出したように思う。それにはこの監督特有の「長回し」の効果も大きく加担しており、欠点を持ちながらも「人は死んでも生き続けるんじゃないか」といったイメージを観たものへ刷り込むような、凄まじい作品に成っている。