5.これは一種のシベリア超特急?
極度の階級社会である未来のディストピアを、走り続ける一本の列車内に設定している、というのが、誇大妄想というか、それとも誇小妄想とでもいうべきか、すでにやや陳腐なニオイを感じてしまうのですけれど、それはともかく。
この列車内という世界に、革命の動きが起こる。しかし、疾走する列車内、という感覚は、音からも揺れからもまるで感じられず、なのにいざ暴動が発生すると、これでもかと義務のようにカメラを揺らしまくり、ここまで律儀に揺らしてくれると、つい笑ってしまいます。
途中、段取り良く登場人物たちが一人また一人と斃れていくのは、『ポセイドン・アドベンチャー』も同じようなシステムでしたけど、あちらはそのシーンすべてが印象的だったのは、人物の描き方のうまさでしょう。本作のこの雑なキャラたちの雑な死に方とは大違い。一方では、死んだのかと思った実はヤツが生きている、どころか、自分がさっき刺されるなり撃たれるなりしたことを憶えてないんじゃないのか、と思えてくる場面もあったりして。
列車映画の楽しみってのは、列車の上を歩くとか・列車の側面にしがみ付いて窓から窓へと伝っていくとか・流線形の機関車前面にへばりつくとか、そういうシーンのヤミクモなカッコよさにあったりする訳で、せめてそういう楽しみが本作にあればもうちょっと見どころもあったのでは、と思うのですが、登場人物たちが車内に居続けて(しかもあまり車内には見えない)、列車の疾走する「勢い」のようなものがまるで感じられない本作、勿体なあとも思うのですが。