1.《ネタバレ》 この監督の作品の常で、薄っぺらいです。時代の上っ面をすくい取ってペラペラと軽薄に流れてく、でも、それはそれで1つの個性なんで、それを上手く活かせばいいと思うのですが、鈍重なんですよね。薄っぺらさを武器にできてない、マトモにあろうとする重力に足を引っ張られちゃってる?みたいな。
編集部が舞台で、リリー・フランキーが登場、もうこの監督はそれしかないんか?っていうか開き直り?みたいな状態で、そのマンネリっぷりのせいもあってか面白くないんですよね。妻夫木くんの自爆自虐妄想演技を見ても「またこのパターンかぁ」と。虎屋やYOKUMOKUとかの小ネタくらいしか笑えないっていう。
ハナシは『ジュエルに気をつけろ』なわけで、アレも大した映画じゃなかった気がするんですが、アレを超えてる訳でもなくて。水原希子嬢をシンボリックに描いて男のダメっぷり、ガキっぷりを笑うような話、でも希子嬢がひたすらエロティシズムメインの男目線(おっさん目線)でしか描かれていないので、そんな彼女が男を手玉に取る姿は結局ちっとも女性を尊重できてない似非フェミ映画になっちゃってる感じで。
クライマックスの3人の男の回想なんか、説明的でクドいばかりで、あー、さっさと先進んでくんないかなぁ、と。センチメンタリズムに走るラストもありきたりでクドく。
奥田民生に特に思い入れはありませんが、奥田民生は流れるものの、奥田民生というキーワードを映画の内容に上手く反映させている感じでもなくて。
相変わらず安藤サクラが良い、語るべきところはそのくらいだったかなぁ。
で、後は映画の内容とは関係ないハナシ。製作発表よりも前の事、スタッフの方がウチの店をこの映画のロケに使わせて、と依頼に来たのですが(舞台の地理的にも正しいですね)、店長(=私の叔父、そしてついでに義弟)が断っちゃいました。残念よねぇ。ウチの店なんてあと十何年も続きはしないでしょうけれど、映画は製作された時の時代感覚と共に何十年(あるいは何百年?)って残ってゆく、そこに記憶されてゆく訳で、そういうのってステキなのにね。