4.《ネタバレ》 結論から言うと、ちょっと何を伝えたいのかがわからない映画でした。宗教というものを内から見るか外から見るか、ちょうどその境目にいる少女ちひろにスポットを当てたストーリー。彼女の両親は彼女の命を救ってくれた(と思っている)その宗教にどっぷりで、同時にその水の力も信じ切っている。誰かにまやかしだと諭されても耳に入らないほどに。一方でちひろはその宗教には属してない親戚や学校関係の人間ともたくさん交流があるが、概して彼らはそういう宗教を煙たがっていたり批判的。自分はどちらに属するべきなのか、結局最後まで彼女の心は決まってないように思えた。自分の両側から両親に大事そうに抱き抱えられながら、でも本人はなんだか苦しそうに見えた。これから彼女はどういう結論を出すのだろう。
やたらと人を誘ったり物を勧めてきたりしなければ、個人的には特定の宗教を毛嫌いしたりはしない。それぞれの裁量で好きにしてくれれば良いと思う。が、えてして大体の宗教は人集めやひいては金集めにえらくご執心のように思える。明らかに関心ないなって人に対して、ズイズイと土足で踏み込んでくるように勧誘したりする人も見たことがある。気弱な人ほど話を聞いちゃったりして悪質なキャッチと何が違うのか、いつも不思議に思う。そもそも、「信心が大事」と言いながらお金や財産を提供することが必要とされることがもうすでにバカバカしい。心だけあればいいんでしょ?いったいどんな人たちがどの程度本気でその宗教に入ってるんだろう、なんてそんなことを考えたりする。
今はちょうど世間で統一教会の問題がクローズアップされている。別にだからというわけでは無いが、普段から宗教に対して思っている意見を再認識できた映画であった。つまり何が言いたいかというと、小さな子どもや学生などに言うことと同じで、宗教も「人に迷惑かけないのであれば何を信じていても自由」だと思っています。それが、やたらと誰かを勧誘したり、何か買うことを勧めたり、ということになってくると違うと思う。作中であった、ちひろの両親が公園で布に水を掛け合うシーンなども、やはり公の場でやることとしてはそれは異様で、他者からどう見えるかが認識できていないという点ではやはり迷惑だと思う。確かにあの公園は通りたくない。
ここに書いたのは個人的な宗教観です。あしからず。
人はそれぞれ何かを信じています。それが「宗教」と名のつくものであったり、誰か人であったりモノであったり、人によってそれは様々だと思いますが、私はそれは本当に自由なもので、だからこそ誰にも絶対的に不可侵な自分だけのものであって欲しいと思います。同じ思想の人がたくさんいるとか、誰かもやってるからやるとか、いたずらに外側に出すべきものでない。なんだか宗教が嫌いな理由が整理された映画になってしまいました。そういう意味では良い映画かも。