1.《ネタバレ》 ケヴィン・スミスが運営するポッドキャストのリスナーから「セイウチスーツを着てセイウチの声を出して欲しい。また、餌付けさせて欲しい」との奇妙な広告を見たという報告があり、番組内でひとしきり盛り上がった後に「この広告主には一体どんな背景があるのか」という点を煮詰めて作ったのが本作らしいのですが、内輪のノリで作られた感全開の作風だったので、部外者にはちょっと厳しめの内容でした。
主人公がポッドキャストの運営者であるという点がすでにスミスの自己批評となっており、サブカルで成功した元オタクという設定は、まさにスミス本人の投影。おかしな事件を笑いものにしてきた自分とリスナーの姿勢を俯瞰した二重構造の物語になっているのですが、部外者にこの遊びは当然伝わってきません。
また、本作がさらにまずいのはアメリカとカナダの悪口合戦が映画のひとつの柱になっているという点であり、冷めたカナダ人と能天気なアメリカ人の両方を茶化した点が笑いどころになっているようなのですが、日本人にはこれがまったくピンときません。ポッドキャストの件も含めて、自分はこの映画の想定する観客じゃないんだよなぁという居心地の悪さを感じながらの鑑賞となりました。
上記の点に比重が置かれた作品なので、肝心のセイウチ人間の解釈は結構いい加減なものでした。人の不幸を笑いものにしてきた主人公が因果応報的に被害者側に回った話かと思いきや、中盤にてこの老人は毎年セイウチ人間を作成してセイウチバトルを繰り広げてきたことが判明し、この主人公もたまたま捕まっただけの不運な被害者の一人にすぎないようなのです。また、セイウチとして生きることにしたクライマックスにはもの悲しい雰囲気こそ演出されているものの、そこにドラマ性のある解釈を見出すことはできず、深いことを語っているようでいて実は何にもない作品であるという点でもガッカリ感を増しています。
とはいえ、ケヴィン・スミスは実力のある監督なので、部分的には成功している点もあります。主人公のポッドキャストでのおしゃべり、恋人とのベッドでのやりとり、老人の回想などかなり長めの会話が多く見られるのですが、これがなかなか面白くて聞かせてくれます。ジョニー・デップが演じた役柄にはまずタランティーノがオファーされていたようなのですが、確かにタランティーノ作品を意識した会話劇となっており、かつ会話劇として成功しています。
また、同監督の『レッドステイト』(こちらは傑作!)でも味のあるキ○ガイ役をやっていたマイケル・パークスが、それをも上回るキ○ガイ演技を披露してくれるので目が離せません。おそらくは『ムカデ人間』のディーター・ラーザーが念頭に置かれた役柄なのですが、ラーザーとはまた違った狂気を見せてくれます。