2.《ネタバレ》 小生ヘビーなキャッツファンであり、今回の映画については興味深く観た。
映画化するにあたりオリジナルストーリーを持ってくるのかと思いきや、曲順や大きなストーリーとしては舞台版とほぼ同じ。
ただ、各キャラクターの性格付けや楽曲の仕様などはけっこうな変更が加えられており、個人的にはそれがうまく作用したとは感じれなった。
まず、キャッツという作品の大きなテーマとして「猫はプライドがあり、気高い生き物」ということを言っているわけであり、それが最後に唄う「猫は犬にあらず」という歌詞に集約されている。
リーダーのマンカストラップはもとより、グリザベラ、バストファージョーンズ、じいさん猫のガス、泥棒猫のマンゴジェリーや凶悪猫マキャヴィティに至るまで登場する猫にはすべからく気高さがある。
しかし、この映画では最初に出てくるガンビーキャットがいきなり下品だ。股を開いてボリボリ掻いたり、しまいには〇〇を食べる。
バストファージョーンズの歌では皆で残飯を漁っている。これらの描写はキャッツの世界観と真逆であり、なぜわざわざこんなシーンを入れたのか正直信じられない。
ラムタムタガーもまったく色気が無くただのお調子者、メス猫にモテる要素も感じられずミスキャスト。グリザベラも同じ。落ちぶれた美人猫には到底見えない。そしてタガーとグリザベラの見た目が似ており、これが続けて登場するのも大きなマイナスポイント。
これはまず歌手ありきで作ってしまっている弊害かと思われる。ミュージカルなので縛りも多かろうと思うが、アメリカならもっと人材いるだろう。
後、電車好きでひょうきんなスキンブルシャンクスがシブいタップダンサーになっていたが、これはまあ許せるか。
線路でタップダンスするというアイデアが捨てれなかったんでしょう。(そのおかげでガンビーのタップシーンはカットされたが)
グロールタイガーがマキャヴィティの手下になってたりデュトロノミー以外にも何匹かの猫がさらわれてきたりだとかストーリを無理やり作ろうとしてるのはわかるが、明らかに幼稚。もう少し工夫できなかったか。
ミストフェリーズよりマキャヴィティの方がよほどマジカルキャットだし。
「一年に一度天上に昇って生まれ変わる猫を決める、そして誰もがその座を求める」というよくわからない設定であるがゆえに、複雑なこと考えることなく歌や踊りを楽しめるというというのがキャッツの一番の魅力だと思う。
それをあえて映画化するということははっきり言ってナンセンスの極み。魅力にあふれた歌や踊りを削り、妙な設定を加え、こねくりまわした挙句がこの結果ではそりゃ酷評されるのも無理はないぞ。
ただキャッツという素晴らしいミュージカルを多くの人に知ってもらうきっかけを作った点は評価。