1.《ネタバレ》 02年のブレット・ラトナー監督作のほうを先に見ていたために、あまりにそのまんまで役者が違うだけ、というシーンに思わず笑ってしまいます。つまりはラトナーがまんまで撮った(部分が多い)というだけのことですが。
もちろん、ラストは違いますけど、これはこれでリアリティを重視した結果であって、その件だけじゃなく実は私はマイケル・マンのほうに軍配を上げたいと思ったです。変ですか。
まあまず、レイフ・ファインズをフランシスに配したことが…比べてみてはじめてわかるラトナーの通俗さ、というか志の低さの最たるものだったことだなあ。
ラトナーは通俗メロドラマが得意であって、それはそれで楽しいものなんですが、マイケル・マン作のほうを見てしまうと「ダメだファインズでは」ということがはっきりする。…かっこよすぎるじゃんレイフ・ファインズじゃ。
んでリーバとのシーンなんかはほとんどおんなじなんですけど、作り手が違えば違うのでして、「明らかに醜い」役者を配したことによって、リーバとの一夜が明けたあとのフランシスの涙の意味が観客にちゃんと理解される。ああ、カレはその醜さゆえに己の肉体が他人に愛されることなんて想像もできない人生を歩んできたんだなあ、と。んでまた戻りますけど、ファインズではこの味が出せなかった。だってそこそこかっこいいんだもの。ここらへんはマイケル・マンの圧勝だ。
残る問題はピーターセンなのかもしれないが、意外とマッチョではないうえかなりのO脚だったカレは、今では立派なメタボおやじとしてCSIドラマの専属と化しているのだが、「顔」以外の要素がマイナスばかりの主役ということになるわけだが…可も無く不可も無くとしておこう。今回は完全な脇役だと思う。
マイケル・マンがピーターセンを起用したのはもしかして、ヒーロー然とした役者がイヤだったからかもなあ。ぶよっとしたボディにO脚って、アメリカの男優じゃなかなかいないからなあ。…なんかまとまらないけど、ラトナーのは「物語」としてはよく出来ている、マイケル・マンのは説得力があるような気がします。比べて見ることをおすすめします。