8.《ネタバレ》 アンダーソン監督は素晴らしい才能の持ち主だと分かる作品だ。
凡人の監督が本作を監督しても、これほど面白い作品には仕上がらないはずだ。
独自の世界観や映像を追求するだけではなく、王道的な“流れ”をきちんと踏まえている点も好感がもてる。
「導入」→「成功」→「綻び」→「失敗」→「再生」という非常に分かりやすい流れを辿っている。
自分らしさを上手く出しながら、観客が楽しめる作品に仕上がっているのは流石だ。
また、驚異的なのはバランスの良さだ。
これほど多くのキャラクターがいるのに、どのキャラクターも光を放っている。
そして、どのキャラクターも心の闇が映し出されている。
しかも、主人公をないがしろにするわけでもなく、主人公にも完全にスポットを当てているのが恐ろしい。
2時間掛けても1人のキャラクターすら描くことができていない作品が多いのに、これほど多くのキャラクターをきちんと描くことができるというバランス感覚のよさは素晴らしい。
そのキャラクターを演じた俳優陣も凄い顔ぶれだ。
当時はそれほど有名ではなかったのかもしれないが、これほどのメンバーが一同に介するとは驚きだ。
素晴らしい作品だが、あえて文句をいえるとすれば二点ある。
一点目は、監督と主人公の仲違いの理由がイマイチなのが、ややもったいないところだ。
単に横柄な態度によることで仲違いになるのではなく、もうちょっとドラマティックな展開でもよかったのではないか。
例えば、芸術性も何も理解していないのに、芸術性の違いによって監督と衝突させてみたり、ビデオ参入を決めたことに対して抗議したりというような展開でも面白いだろう。
作品が素晴らしいのは“スターである自分”が出演しているからであって、監督を含めて、その他は無用の存在という思い上がった姿勢をもうちょっと違う角度から描いて欲しかった。
二点目は、偽クスリを巡る銃撃戦があったが、あの部分は蛇足気味のような気がする。
主人公が駐車場でボコられて、監督に謝罪するという流れでも話はすんなりと通るのではないか。
一方、監督側の方も、企画モノの撮影の際に素人をボコボコにしたことで監督の傷も浮き彫りになっていたところである。
両者の傷が上手く融合することで、仲直りというクライマックスに持っていくこともできる。
あの爆竹が鳴る家の銃撃戦を挟むと、やや流れが悪くなったという印象を持った。