3.忠太郎が母を探してやってきた雪の江戸のシーンがいい。点景される人々に浮世絵から抜け出てきたような味わいがある。その前に田舎の夏祭りのお囃子のシーンがあって、一転して冬の雪景色の中に都々逸が流れている。やっぱりお江戸は粋だねえと思わせておいて、しかしこのシーンは、その粋な都々逸を唄っていた男によって、江戸の不人情をこそ描いていく。理想と現実の落差。夏川静江によって生み落とされた母のイメージが浪花千栄子によって一度引っ繰り返され、さらに沢村貞子を経て木暮実千代へとジャンプする。この母親イメージの変遷の巧みさ。浪花や沢村は落ちぶれてはいても・というか落ちぶれているからこそ、忠太郎にとって「山椒太夫」的な理想の母親像だった。哀しい弱者の・自分の庇護を必要としている母親像だった。しかし現実は不人情な江戸の街で生きていかねばならなかった木暮なのだ。この深い幻滅は、母親に対してだけに向けられたものではなく、やくざ(「世間の出来損ないでございます」)に身を落としている自分自身にも向けられたものであるところが、作品の厚みになっている。母の援助をしようと携えてきた金が、自分のやくざを証明する重荷になってしまう。長谷川伸の名作ではあるが、私などはそのパロディのほうを先に目にしてしまった世代で(『続・男はつらいよ』を初め、テレビのバラエティのコントなどでも、その名セリフの数々と共に笑いの場で主に刷り込まれた)、素の気分でどっぷりとひたれないところが寂しい。長谷川伸は晩年、この芝居のように子どものときに生き別れた母と再会する。その母は名門に嫁いでおり、大学教授など名士の義兄弟が出来ていた。しかし芝居のような摩擦はなく、看取るまでいたって穏和に付き合えたというのがホッとさせる。