5.《ネタバレ》 滝の上の楽園と下界の俗世間を隔てる滝という舞台装置を極めて象徴的・効果的に扱っている。
命がけで担ぎ上げた山のような荷物をインディオに川に投げ捨てられ、身を震わせて泣くメンドーサ。
ガブリエル神父が駆け寄り抱きしめる。
これは何を意味するのか。
神父の一行と共に川を遡る間も頑なに心を閉ざしつづけた彼が、心を見せたことへの祝福?
下界から担ぎ上げた荷物を失うということが、俗世間からの決別であることを象徴的に描いて見せた?
解釈は一つではないかもしれないが、前半の最大の見せ場だろう。
僧として無言の抗議の末に死んでいくガブリエル。僧の立場を捨て武器を取って闘い、銃弾に倒れるメンドーサ。
どちらが正しいのか。闘いの直前、祝福をもとめるメンドーサにガブリエルは、祝福はできないが君の行いが正しければ神が祝福するだろうと告げる。
そこからは2人が倒れるまで、2人の行動と表情がパラレルに描かれる。
先に倒れたメンドーサが死に行くまでのあいだ懸命に身を起こし、銃弾の飛び交う中をインディオと共に行進しついに倒れるガブリエルを見つづける。
どちらの行為が神の意に沿ったのか答えを求めたかったのだろうか。
現代にも通じる、正義のために闘うということの是非を問い掛けるシーンだ。
敢えて両極を対比させて問題提起を明確にしているが、映画としては答えを示してはいない。
ここは監督としての態度を明らかにしてもよかったのではないか。新聞のような媒体ならともかく作家の個性を示すことが公然と許される映画ならではの態度表明をしてほしかった。
多分おいそれとは答えは出せないこととは思うが、判断は任せますといった態度はやや陳腐さが匂う。
最後に生き残った子供達が小船に乗って川に漕ぎ出すシーン。
無限の可能性を秘めた子供に希望を託すというも象徴的な描き方だがややあたりまえすぎるキライがある。
しかし、映像の美しさと音楽でそれを充分に補ってしまった。
考えて見ればこの手のテーマはキリスト教を信仰する人々には永遠のテーマなのだろう。
普通に描いてしまうと陳腐さだけになってしまうところを、象徴化という手法を多用して生臭さを消し、美しい音楽で彩どったことが新鮮だったのかもしれない。
しかしキリスト教徒の目にはどう映るのだろうか。無味無臭の環境音楽みたいには写らないのだろうか・・。