ノルウェイの森のシネマレビュー、評価、クチコミ、感想です。

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ノルウェイの森

[ノルウェイノモリ]
Norwegian Wood
2010年上映時間:133分
平均点:4.93 / 10(Review 56人) (点数分布表示)
公開開始日(2010-12-11)
ドラマ青春ものロマンス小説の映画化
新規登録(2009-11-13)【にじばぶ】さん
タイトル情報更新(2024-08-06)【にじばぶ】さん
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監督トラン・アン・ユン
助監督片島章三
キャスト松山ケンイチ(男優)ワタナベ
菊地凛子(女優)直子
水原希子(女優)
高良健吾(男優)キズキ
玉山鉄二(男優)永沢
霧島れいか(女優)レイコ
初音映莉子(女優)ハツミ
柄本時生(男優)突撃隊
糸井重里(男優)大学教授
細野晴臣(男優)レコード店店長
高橋幸宏(男優)阿美寮門番
田村健太郎(男優)セクト学生
原作村上春樹「ノルウェイの森」(講談社刊)
脚本トラン・アン・ユン
音楽ジョニー・グリーンウッド
作詞ジョン・レノン「ノルウェーの森」
ポール・マッカートニー「ノルウェーの森」
作曲ジョン・レノン「ノルウェーの森」
ポール・マッカートニー「ノルウェーの森」
主題歌ザ・ビートルズ「ノルウェーの森」
撮影リー・ピンビン(クレジット:マーク・リー・ピンビン)
製作石原隆〔製作〕(製作事業統括)
アスミック・エース(「ノルウェイの森」パートナーズ)
フジテレビ(「ノルウェイの森」パートナーズ)
講談社(「ノルウェイの森」パートナーズ)
WOWOW(「ノルウェイの森」パートナーズ)
電通(「ノルウェイの森」パートナーズ)
企画アスミック・エース
フジテレビ
プロデューサー亀山千広(エグゼクティブ・プロデューサー)
小川真司〔プロデューサー〕
配給東宝
美術安宅紀史
照明中村裕樹
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【クチコミ・感想】

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123
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56.完璧な映画化などといったものは存在しない。
完璧な絶望が存在しないようにね。
映画化の噂を聞いたとき、僕はそんなふうに自分を言い聞かせるようにした。
なにしろ僕はノルウェイの森という小説が大好きだったものだから、いささか辛い想いをすることになったとしても、これは見ておくべきだろうと思ったのだ。
結果から言うと、僕の予想通りいささか辛い133分となってしまったのだけれど、それは最初からわかっていたことなので、しかたないことなのかもしれない。
村上春樹の良さは、深いテーマを軽くて読みやすい文章と独特の言い回しで綴るあたりにあると思うのだけれど、ストーリーや台詞だけを忠実に映像化してしまうと、こんなにもつまらないものになってしまうのかと、僕は唖然とした。
小説と映画の違いは、単純に言うと主人公であり、あるいは視点とも表現できる。
小説のそれが一人称の僕なのに対して、映画のそれはワタナベなのだ。
なんだ同じじゃないかと言う人もいるかもしれないけれど、僕にはそれが深刻な問題だった。
僕はワタナベたちの物語を覗き見するよりも、一人称の僕を通して、共感したり、後悔したり、混乱したりしたかったのだろう。
でもそれは僕が思うだけで、誰もが感じることではないのかもしれないので、見ない方がいいとまでは言えないのである。
少なくとも害があるほどの問題でもあるまい。
僕はそう思うことにして、本来付けるつもりだった点数を1点甘くした。
もとやさん [DVD(邦画)] 4点(2011-07-12 19:44:53)(良:2票)
55.《ネタバレ》 不思議な映画だった。小説は目で文字を起こし、読者の頭の中でイメージを膨らましてストーリーを自分で紡ぎ出す。対して、映画は映像と音によって目と耳でダイレクトに感じ、そこからストーリーを探し当てる。この映画は確かに小説で読んだときとはイメージが違うと感じる人が多いだろう。当たり前だ。読んだ人ひとりひとりに物語が存在しているのだから。私もあまり期待しないまま観て「ああ、やっぱりか・・」と当初は若干失望した。しかしそれ以後、頭の中でビートルズの「ノルウェイの森」のイントロ鳴りっぱなし。そして本編での印象的な映像が頭の中でフラッシュバックのようにリプレイしまくり。目で見た映像と耳で聴いたメロディが、私の頭の中で時間をかけてひとつの物語を形作る。スクリーンいっぱいに広がる緑色の草原。絶望的に悲しく、荒々しい冬の海。そして喧騒後のもの悲しい静寂を感じさせる、エンドロールで流れる主題歌のギターのカッティング。家に帰って小説読み返したら、新しい発見。映画で観たイメージが脳内補完された分ぐいぐい物語に引き込まれた。映画で一番印象的だったのがハツミさんとのレストランのシーン。途中からカメラはハツミさんに固定され、脇でワタナベやら永沢らがしゃべっても決してブレない。ハツミさんの目力に圧倒されドキドキした。物語の中でこのシーンが重要なのは、ハツミさんがこの物語で唯一「真っ当」な人物であるから。非「真っ当」なワタナベや永沢を前に純粋な正論を打つ。そんなハツミさんであるが、永沢を愛している。異端な永沢を愛してしまうハツミさんの不完全さが逆説的でもの悲しい。あと、この物語でのセックスは「死者の共有」の儀式であり、だから直子はあの晩でしか濡れなかった(キズキを共有)し、レイコさんはワタナベと寝たがった(直子を共有)。その辺の説明が足りなかったのが残念。50曲をギターで弾きまくるお葬式のシーンは入れてほしかったな。楽曲の権利の関係で無理なんだろうけど・・まあともかく、映画を観て改めてすごい物語だなあと思ったので7点献上。
たかヲさん [映画館(邦画)] 7点(2010-12-16 01:47:49)(良:2票)
54.《ネタバレ》 何かが起こっていそうで、何も起こっていない退屈な130分近くというのは何だったのだろうか。ひとの死に何も感慨がわかないというのは珍しく、それはその人物に魅力がないという証拠なのだろう。

青春真っ只中のワタナベという視点から見るこの映画は、ワタナベが直子にするか、緑にするかと延々と悩み続ける頭の悪い映画に感じてくる。そんなのもうどっちでもいいよ、どっちも面倒臭い女だよ、だったら穴が空いてるのを選んどけよくらいにしか感じない。それは結局、直子も緑も魅力的に描かれないからで、李屏賓が切り取る映像的な魅力とは全く別の話だ。
結局、終始ワタナベの視点で描かれるわけだが、直子の視点、緑の視点、あるいはレイコの視点というワタナベを取り巻く女の視点でワタナベを描いていく方がワタナベの魅力を引き出せた気もする。ワタナベだけでは物語が転がらないからだ。
また手紙や電話という道具が果たして上手く機能していたのであろうか。個人的にはただの道具にしか感じなかった。
そして最後のワタナベの台詞だ。生きて愛することを選んだワタナベが「ここはどこなんだろう?」って馬鹿としか言いようがない。まだ悩むのかと。

原作を忠実に映像とすることが原作への敬意と言えるのかもしれないが、あまりにも巨大な原作を忠実に映像とすることが最善の策であったとは思えない。原作に怯え、映画の魅力が著しく欠落していた。
すぺるまさん [映画館(邦画)] 4点(2010-12-15 21:53:49)(良:2票)
53.《ネタバレ》 そうです。そうなんです。村上小説の主人公は、なぜかいつもモテモテなんです(笑)。にしても、原作や村上春樹の小説など一度も読まずにこの映画を見る人は、ただの優柔不断男と病んでる女達の不可思議ワールドとしか思わないのではないかと危惧してならない。勿論、彼の小説を映画化するのは相当困難な問題があると思うし、この作品は小説的な映画という作りでなんとか頑張っていたとは思うが、やはりなかなか大変なものがあるとも感じた。読んだ人それぞれにそれぞれの「ノルウェイの森」があると思うので、あのシーンがないとかあの台詞がないとか言っても仕方ないと思うが、個人的に残念だったのはやはり性交やエロスのシーンで、その描き方たるものなんとも中途半端で機械的。もっと生々しく描けなかったのかと言いたくなる。映像的には、あの空気感や独特の世界観など、原作の雰囲気がよく出ているし美しいシーンも多いが、個人的には映像よりも音の方が印象深かった。二人で散歩するシーンの風の音や小鳥のさえずりなど、楽園を思わせるサウンドでうまく心情表現してると思うし、それに対して悲劇の時に鳴り響くストリングスのおどろおどろしさといったらない。この「落差」が凄く恐ろしい。ある意味、そのへんのホラー映画よりも怖い。
あろえりーなさん [レーザーディスク(邦画)] 6点(2011-06-30 22:31:10)(良:1票)
52.直子役に菊地凛子が決まった時点で原作と異にする作品なのだろうと思った。そして実際、映画の直子は原作の直子のように静かに狂ってゆかず、ひたすら生々しく、そう、まさに生きている人間の悲しみと苛立ちに満ちた狂い方を見せてゆく。トラン・アン・ユンが与えた息吹は原作から解き放たれた独自の世界を作ろうとする。しかし、、しかしだ。他方、松山ケンイチと水原希子はあの魅力的な村上春樹の世界を再現してしまっているではないか(言いすぎか?)。匂わない汗。香らない食事。どんなに激しいセックス描写があってもそれは文章でしかないという無機質な感覚。映画には向かなそうな、文章でしかない世界。それが村上春樹の世界なのだと私は思う。それを非現実的な響きを持つ、まるで読むように響く二人の声によって実に見事に春樹ワールドを作り上げている。監督もやられたクチなのだろう。この世界観に。だから独自を貫けずに二つの世界を中途半端に発生させてしまった。現実の世界と非現実の世界を右往左往する主人公というのはそれはそれで面白いのだが、現実の直子と非現実の緑というあべこべの構図にちぐはぐさを感じる。
R&Aさん [映画館(字幕)] 6点(2011-04-19 15:32:03)(良:1票)
51.《ネタバレ》 20年以上前の一大ベストセラーの映画化で、これはやはり原作との比較になってしまう。私は出版当初に読みました。その後、住所が3回変わったけれど赤と緑のハードカバーはずっと本棚に鎮座したまま開かれたことが無い。大きな感銘を受けた作品でしたが、再読する気にならない作品でもありました。毛嫌いしている訳ではなく、ファーストインプレッションを大切にしたかったのだと思う。そんな訳で、細部を忘れて観賞した者としては、「ノルウェイの森」ってこんな作品だった、という意見です。元々がディテールより雰囲気が残る作品で、その空気感は伝わって来ました。あくまで私の「ノルウェイ」像との比較ですが、映画化は失敗していないと思います。抜け落ちているエピソードや台詞を補完しても、この映画が劇的に変わるとは思わないし、説明が多くなることは逆に機能する危険の方が大きい気がします。そのうえで、私の原作との印象のブレをいくつかあげるとすると、直子が死んだ後のワタナベの復活がちょっと早かったこと。原作の終盤は、ワタナベも自殺するような恐れを振り切るようにページを繰っていた記憶があります。レイコさんとのセックスはワタナベにとっても大きな救いになったと思ったのだが、それが感じられなかったこと。あとは直子のキャスティングですね。透明感と儚さを併せ持った不思議な存在が直子でしたが、本作では骨格的に存在感が有り過ぎました。ともあれ、村上春樹の小説のエッセンスは「喪失感の描き分け」と解釈していますが、そこには及第点を付けたいと思います。余談ですが、21世紀に入った頃、友人が「日本の男をダメにしたのは村上春樹だ」と言ってました。頷いてしまう人も多いのでは…。
アンドレ・タカシさん [映画館(邦画)] 7点(2010-12-31 23:48:47)(良:1票)
50.《ネタバレ》 素直に感動した。一般の評価が低いことを知っていただけに、期待以上に見応えがあった。

久しぶりにその世界に触れ、心が震えた。確かに小説のいくつかのエピソードが省かれていた分、此の物語に親しみがない人にとっては、それぞれの人物に絡みつく悲しみの影がみえず、彼らの行動の必然が理解できないかもしれない。しかし、僕はその欠陥を記憶で埋めながら、自然に観ることができたと思う。だから、それは欠陥にはならなかった。
僕の中で、永沢さんはナメクジを飲んだ永沢さんだったし、レイコさんは少女に翻弄されて自分を見失ったレイコさんだった。(レイコさんはもう少しシワシワの方がよかったかも) 突撃隊は説明がなくとも突撃隊だった。

映画を観るという行為は絶対的に個人的なものだと僕は思う。故に、その評価は、個人の記憶や経験、境遇によって変わってくるのは当然であり、原作を何度か読んでいる僕にとって、この映画の評価は、そういう個人的なもの、様々な記憶の補完とともに立ち上ってくるものとしてある。

基本的に原作に忠実なところがよかった。何も足さず、的確に小説の情景を、そのエッセンスを映像化していたと思う。松山ケンイチのワタナベくんも菊池凜子の直子も、そして水原希子の緑も、此の物語を体現した存在として、自然にそこに在ったと思う。此の物語はセックスと死をめぐる寓話でもある。映画は総じて感傷を排し、テーマそのものにフォーカスした感じだと思うけど、セックスの表現は悪くないし、僕の作品に対するイメージを損なうものではなかった。

草原で髪を風になびかせる直子。その大きな瞳から虚ろに漂う視線。とてもぐっときた。直子を失ったワタナベくんが海辺で慟哭するシーン。バックの映像はすこし演出に走りすぎたかなとも感じたけど、彼の慟哭の表情は、失ったもの、それが如何に切実なものであったかを僕らに突きつける。

「ワタナベくん、今、どこにいるの?」と最後に緑が電話口で問いかける。彼はどこでもない場所にいる。直子が死んで、彼は、彼の生きてきたひとつの根拠を失った。しかし、彼は、それでも生きていくことを決意し、緑に電話する。生の象徴である緑の口元に漂う微笑み。それは映像だからこそ現れたアカルイミライのようにも見え、それはそれで面白いと思った。

此の物語を体現した人物、映像、演出、、、素晴らしい作品だと思った
onomichiさん [映画館(邦画)] 9点(2010-12-29 18:18:55)(良:1票)
49.原作を読んでない人は絶対に見てはならない作品に仕上がっている。話題性と松ケン目当てで間違って見てしまうとどうなるか。三人のエロ女と優柔不断な男の話でしかないではないか。そのような印象を与えてしまいかねないのは、本当に怖い、としか言いようがない。もちろん、尺や版権などの関係で原作どおりに行かない事は理解するし、必ずしも原作どおりに作ることを目的としそれに成功した作品が良作とは限らない事も分かっている。更に「ノルウェイの森」には読者それぞれのイメージ、思い入れ、好きなセリフ、心に残るシーンがあるわけだから、それを映画化(映像化)したときに、正解なんて無いのも当たり前。読者1000万人の頭の中に、雲のように漠然と浮遊した映像を、かき集め、くっ付けたり剥がしたりしながら作り上げた作品なのだろう。だからなのか、切り張りしたようなカットの羅列は、何の脈絡も持たない身勝手な登場人物の行動発言になってしまっているではないか。原作の全てを表現してくれとは言わないが、きゅうりのシーンと、ギターでお葬式のシーンは入れてほしかった(ギターのヘッドがチラッと見えてるだけに終わっていた)。「ノルウェイの森」を題材にした、セリフ付の美しい写真集といった感じか。叙情的かつ叙景的な原作の、叙情の部分を削り、極力叙景的に表現したのは、正解なのか、否か。
ちゃかさん [映画館(邦画)] 5点(2010-12-27 16:15:41)(良:1票)
48.《ネタバレ》 なんかなあ・・・見ているときも、見終わった後もそんな気分。これじゃあ、異様にモテる男と面倒くさすぎる女の物語じゃないか。そこに動機が見出せない。
どうしてワタナベはあんなにヤリまくりモテるのか?原作では、ワタナベの不思議な魅力を淡々と描いてみせる。ワタナベの見方を通して、あるいは関わる人々から言われる「ワタナベ評」を通して、人物像を形成していく。例えば、緑の父親にキュウリを食べさせるエピソード(映画では省かれてる)。自分はこういうワタナベに対して人間としての魅力を感じる。
ところが、映画ではこの“理由付け”の部分が上手く描けてないから、結果的に「なんかなあ」と思ってしまう。これは、ストーリーテリングの問題が大きい。脚本家としてのトラン・アン・ユン。
“理由付け”の非力さという意味では直子も同様で、どうも映画中の彼女には惹きつけられるものがなかった。なんだ、あの媚びたような口調は。こっちは、役者にも問題がある。
ただ救いというか、個人的に新たな発見もあった。ラストで緑の名前を呼び続ける場面。原作にもある。これは、緑のセリフ「私をとるときは私だけをとってね。私を抱くときは私のことだけを考えてね。」と繋がっていたのか。映画のシンプルな構成だからこそ、浮かび上がった。
さて、国民的小説ともいえる「ノルウェイの森」。
もし自分ならこう撮る、直子役には○○を起用する等の居酒屋談議も当然出てくる。
大変僭越ながら、私の妄想をここに発表すると、ラストのシーンはレイコがギターを弾きワタナベと2人だけでやる直子のお葬式にする。レイコのギターをバックにエンディングロールを迎えて。
まあ、それはさておき。かつて、映画化されそうでされなかった「ノルウェイの森」。いや、できないだろうとも言われていた。情けないな、外国人に先を越されてしまったね。本作はトラン監督の感受性に敬意を表すると共に、色々な解釈があっていい、忘れた頃にでも他の人による第二、第三の「ノルウェイの森」を期待したりして。
ジンロクさん [映画館(邦画)] 6点(2010-12-25 14:52:47)(良:1票)
47.《ネタバレ》 原作はリアルタイムで既読・・・っていうか、既読か未読か、そんな事は映画を観る上で、ほとんどどうでもいい事。

この作品を、どのような動機で映画館まで観に行ったのか?
それが、この作品を観た人の満足感を左右するだろう。
私は、監督のトラン・アン・ユンと撮影のリー・ピンビンが好きだから観に行った。
彼らのコンビが創り出す映像美は、『夏至』などで既に証明済み。

そのコンビが、かの世界的ベストセラー小説『ノルウェイの森』をどう料理するか?
あくまで主眼点は、トラン・アン・ユンとリー・ピンビンにあった。
それに対し、『ノルウェイの森』という孤高の小説が主眼点になっていると、観た後の違和感や不満足感は免れないだろう。

さて、肝心の映像だが、まずまずといったところだろうか。
ただし、草原に風が吹きすさぶシーンは実に素晴らしかった。
あの風が吹きすさぶシーンこそが、私にとっての最大のインパクト。

問題点は、妙に中途半端なラブシーンが、しつこい位に出てきたこと。
それも菊地凛子たちの観たくもないラブシーンばかり。
肝心の水原希子のラブシーンは無し。
水原希子の、あの細くて綺麗な脚を、もっと触って欲しかったのになぁ。

演技うんぬんは、元々、淡々として退廃的なムード漂う内容なのだから、まあいいんでしょう、あんなもんで。

ラストの、松山ケンイチがヨダレを風に吹き飛ばしながら、絶叫するシーンには息をのんだ。
それと、恐怖を煽る様な音楽とともにカメラが横移動して、菊地凛子の首吊りシーンを映す演出なんかも、なかなか良い。

トラン・アン・ユン監督を目当てで観た人でないと、問題作『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』と同様、観る者を置き去りにしてしまうに違いない。
にじばぶさん [映画館(邦画)] 7点(2010-12-23 23:39:21)(良:1票)
46.《ネタバレ》 村上春樹の代表作が待望の映画化。淡々とした重苦しい雰囲気の中で、青年たちの揺れ動く心の描写を繊細に表現した青春ラブストーリー。性描写や下ネタ連発だが愛の奥深さを追求した良作。直子を自殺で失ったワタナベ、その慟哭の表情は「ゴッドファーザーⅢ」のアル・パチーノを想起させられました、松山ケンイチまさに怪演。
獅子-平常心さん [映画館(邦画)] 7点(2010-12-21 00:53:28)(良:1票)
45.原作をほぼ忘れかけている状態で鑑賞したのが良かったのかもしれない。緑の演技の下手さに最初は辟易としたが、段々馴染んできて気にならなくなった。トランアンユンの技巧(意図的に斜めにするシーンなどなど)や映像の透明度、瑞々しさは素晴らしいと思った。大衆向け娯楽純愛映画ではなく、その点にまずほっとし、監督がこの物語をどう解釈したかが理解できた気がした。あの時代を切り取って、そして生きていくこと、成長していくことを主眼にしているのではないだろうか。直子の誕生日の時の台詞と、最後の台詞を考えれば分かりやすい。18と19の間を行き来すればいいのに、という直子と、死者はずっと17、21のままで遠くへ行ってしまう、というワタナベは明らかに異なっている。誰もが自らの「ノルウェイの森」観を基準にするが、監督の解釈を受け入れる余地は十分にあるだろう。原作を読んで5年後に観ることをおすすめしたい映画だ。まぁそれにしてもセックスシーンは中途半端過ぎて話にならない。村上春樹の生々しさが表現されておらず、口だけで濡れるだの勃起だの言ったところで下品なだけで生々しくない。そこは大いに不満だった。
Balrogさん [映画館(邦画)] 6点(2010-12-19 17:52:45)(良:1票)
44.原作未読。ただの官能映画にしか見えなかったというのが率直な感想。まぁ官能映画に分類するとそれはそれで物足りないんだけど。原作を読んでないので分からないんですが、恐らく登場人物の心理描写を画にできてない、もしくは原作から抜粋するシーンを間違えたか。時々??になるシーンがありました。きっと小説では著者の巧みな文章で上手く表現出来てて、スッと理解できるんでしょう。正直この映画だけを見ると小説「ノルウェイの森」はつまらない読み物なんだろうなと思ってしまいました。
関白宣言さん [映画館(邦画)] 2点(2010-12-15 00:35:35)(良:1票)
43.読了後鑑賞。ただのセックスと自殺の話。凡人には理解不能。
TERUさん [インターネット(邦画)] 2点(2023-07-15 14:05:32)
42.《ネタバレ》 読書しない私は本作の原作ももちろん読んでません。でも村上春樹という作家が海外での評価も高く、ノーベル賞受賞か否かといつも話題になっていることは知っています。なので小説「ノルウェイの森」は素晴らしいんだろうなとは想像できます。

時代背景が自分の親世代に近いので、なんとかついていけるかなと鑑賞しました。
木々の緑や雪の冬景色、雨が窓ガラスにあたる光景、みどりの自宅の室内とそこから見る風景などは美しく素晴らしいです。
でも「青いパパイヤの香り」とよく似ていて、俳優が演じているのにそれがこっちに入ってこない、人物のキャラもどうでもよくてただ眺めているだけなんですよ、コレいいんですかね?どう描きたいのかもよくわかりませんでした。食べるシーンもわりとあったんですが、どれもこれも全然美味しそうじゃないし楽しんでいるとも感じない、ヤバイです。
菊地凛子と水原希子っていうのもよくわかりません、あとレイコ役の女優とかタイプがよく似ていて、3人とも顔付きも体つきも骨っぽくて
やたら性の話題を口にするんですが、頭でっかちで濡れるの濡れないの、傷つきたくないとか自己中で理屈っぽくて情感も共感もない。
「何言ってんのこの女」としか思わなかったわね。
来るもの拒まずなモテる男とめんどくさい女たち。性描写は特筆する美しさも無く、言葉や会話はやたら気取っていてうそ寒くてやっぱり全くこちらに響かない。印象的だったのは直子の髪型と爆発寸前のような早歩きです、いちばん怖かったわ~
背景、景色の美しさは評価します。ところで糸井重里はすぐわかったけど、高橋幸宏と細野晴臣はわからなかったなあ。
envyさん [インターネット(邦画)] 3点(2022-04-11 16:18:01)
41.なんで高良健吾は自殺したんや。
ケンジさん [インターネット(邦画)] 2点(2020-07-25 23:24:32)
40.原作を読んでからの観賞。
やっぱり村上春樹の文学を映像化するのは無理だと感じた。

ーーーー
2024年3月
原作を約15年ぶりに通しで再読したので、映画も再鑑賞しました。(原作を20歳と35歳で読んだ時は全然感じ方が違って面白かったです)
ほとんど映画覚えてなかったんですが、小説とわずかな過去の記憶を補完しあってみてました。
2時間越えなんですけど、退屈せずに最後まですんなり見ることができました。村上作品の小説は魅力的に感じるのですが、言葉で言うとやっぱり、うーん違うって感じです。
再読して好きなシーンが3箇所あるのですが、そこが映画ではなくて残念。
①突撃隊が魅力的に描かれていないこと。
②ミドリの父親との病室での会話が描かれていないこと。
③永沢がスペイン語の勉強をしているところが描かれていないこと。

あとやっぱり原作でも、疑問になってるところが解決されず。
なぜレイコさんは、ワタナベと寝たんでしょうか。。 
時が経って、また読み直すと気づくのかも知れないです。。。
2点→6点に変更
へまちさん [インターネット(邦画)] 6点(2017-12-03 13:33:38)
39.《ネタバレ》 原作は若い頃に読みました。当時は直子に完全移入で滂沱の涙を流したものですが、流石におばちゃんとなった今は誰にも共感出来まへん(苦笑)。ただ、「そーだよな、だからハルキ・ムラカミは世界で読まれるんだよな」と改めて確信したのですね。登場人物に感情移入はしないけど、この人が描こうとしているコトには揺さぶられる。恋愛をこういう風に描く作家って日本にはいない気がするのですね。なんとなくヨーロッパ的な感じがする。

なにしろ生々しい性愛が描かれている作品なんですけど、自分が生きている世界に対して漠とした不安や不確かさを抱いてる、若い時って誰でもそんな時期があると思うけど、ここに出てくる人たちは皆そういう不安定さの中でもがいてる感じ。まぁ悩み方はそれぞれで、それに対する対処(ふるまい)の仕方もそれぞれなんだけど、1番ストレートに悩み苦しんでるのが直子。彼女の苦悩って別に「不感症」がどーのって話じゃなくて、「濡れる」か「濡れない」か、その行為(現象)一つひとつに「意味」を求めてしまう、そういう「生き方」の問題だと思うのです。

世の中っていうのは「記号」の連なりとも言える訳で、この世に存在するものは全て、人もモノも自然もみんな世界に立ち現われている姿は境界の曖昧な「なにものか」でしかないけれど(表象というものですかね)、人間は言葉を持っているがゆえに全てを概念化できるし、またそうしなければ(たぶん)生きていけないと思う。言語化して意味を付与することで安心できる。普通の人は、そうやって言葉を獲得してモノゴコロついた時から、ごく“自然に”世界を言語化し抽象化して捉えていると思うのだけど、それって「記号」を「記号」のまま理解して納得して了解しているってことなのかなと。「好き」も「セックスする」も記号として普通に意味が想起される行為だから、普通の人は何もひっかからないで、所謂「恋愛」の手続きとか流れとして捉える訳だけど、村上春樹においてはこういう「記号」をいちいち解体しちゃうというか、記号からありきたりの意味を引き剥がしてみせるというか、本当の世界はこんな白々しく空疎な記号の連なりなんかじゃなくて、もっと生々しく確かな手触りがあるものなんじゃないかって、そういう手応えを求めているように思えて仕方ないのですね。だから物語としては、表面的に展開している「出来事」と、それが「意味すること」との間にすごく距離を感じさせる。当然、登場人物たちの感情や言動も、目に見えてるオハナシから想起され得るものとは違う。“愛”というものが確かな実感のあるものでありながら、その実体はどこまでも不鮮明かつ不確かなものであって、こんなに「記号」として便利なものはないし、「記号」として役立たずなものも無い。世界を問い直す作業において、この“愛”ってものはかなり優れたテーマなんじゃないかなぁと思えるのです。

さきほど、直子の苦悩は「生き方」にあると書きましたが、彼女は世界に対してそうやっていちいち「意味」を問いただし、自分の肉体や生理現象にすら「答え」を求めてしまうものだから、とても身が持たないのですね。映画館で観た後、私は手帳にこんな走り書きをしました。
「“問い”は世界への呼びかけ。挑戦。ノック。ノックし続けると世界はひび割れ崩れ落ちる。直子はそうやって世界を壊し自身を壊したのだ」

対する緑ちゃんは「意味」を否定する存在というか、直子のような強迫的な「意味づけ」を「無意味化」してしまう女の子。直子がタナトス(=死)志向の女性で、緑はエロス(=生)を象徴する女性。ワタナベは直子に身を絡めとられつつも、緑の存在があったればこそ、「世界」をそのままに引き受ける力を得たんじゃないか。戦うのではなく、しなやかに受け止める。生と死の「あわい」に生きる男のオハナシ。松ケンは良かったね。
ポッシュさん [映画館(邦画)] 8点(2017-07-24 22:36:23)
38.原作既読。日本のようでそうでなさそうな、原作特有のふわりとした空気感が上手く再現されているが、原作自体が印象に残らないので映画も御察しの通り。原作を読まないと唐突すぎるシーンもあり一見さんお断り。主演三人はまずまずの好演であれど、いざ映像になると"僕"として同化できないから他人事に見えてしまう。あの世界観は活字でしか表現できないと実感させられた。
Cinecdockeさん [DVD(邦画)] 5点(2014-12-28 13:28:35)
37.《ネタバレ》 この原作者の浅はかさ(学園紛争を「借景」のように使うのはその一例にすぎない)にはそもそも根本的な違和感があるのだが、映画は別物だという期待があった。しかしこの映画は残念ながらただの美しい風景の写真になっている。もっと室内で内容ある話をしろと言いたい(なんと単純な要請だろう!)。
ひと3さん [DVD(邦画)] 3点(2014-12-07 23:48:22)
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【点数情報】

Review人数 56人
平均点数 4.93点
000.00%
111.79%
258.93%
3610.71%
41425.00%
5610.71%
61323.21%
7610.71%
847.14%
911.79%
1000.00%

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 7.33点 Review3人
2 ストーリー評価 5.16点 Review6人
3 鑑賞後の後味 5.40点 Review5人
4 音楽評価 5.40点 Review5人
5 感泣評価 4.50点 Review4人
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