21.タマ子と同じ年の頃、僕も、学生と社会人の狭間でモラトリアムな日々を、実家で過ごしたことがある。
それは、決して褒められたことではないし、家族からしてみれば迷惑なことだっただろうけれど、あの「猶予期間」があったからこそ、自分は何とかマシな人生を送れるように至ったと思う。
誰にも迷惑をかけずに、トントン拍子で人生を歩んでいけたならそれに越したことはないんだろうが、そういうわけにもいかんのが「人生」だ。
何が起こるわけでもなく、一見すればただ自堕落なヒロインの一年間の「生活」を切り取っただけの映画である。
でもそこから不思議な愛おしさと、可笑しみがじわじわと滲み出てくる。
この手合のミニマムな味わい深さは、山下敦弘監督お手の物といったところだろう。
市井の人々の何気ない言動を細やかに描き出し、ドラマを紡ぎ出す手腕にこの監督は本当に長けている。
そして、その山下敦弘監督の映画世界の中で、主人公・タマ子を演じる前田敦子が見事に息づいている、いや“居座っている”。
前田敦子というアイドルが持つ「オモテ」と「ウラ」その両面を集約させて、曝け出して、タマ子という主人公像を創り上げている。
AKB48卒業直後の主演映画に相応しく、“アイドル”というレッテルの境界を越えた存在感を放っていたと思う。
また父親役の康すおんも、朴訥とした父親像を味わい深く体現しており、とても印象的だった。
この父親は、劇中から察するに、娘二人が成人した途端に妻に逃げられた駄目な男なのだろう。
だけれども、黙々と自営業に励み、きちんと料理をして洗濯をする様は、何とも健気で好感が持てたし、出戻ってきた娘を黙って受け入れ面倒を見る様子からは、娘に対する心配や憤りと同時に、嬉しさも伝わってきて、同じく娘を持つ父親としてとても微笑ましかった。
何よりも、ああやって往く宛が無くなった次女は頼って帰ってきて、嫁いだ長女も大晦日まで忙しい旦那を連れて帰省してくるのだから、この父親が根本的な部分で娘たちはもちろん、人から愛される人間であることは明らかだ。
一人の人間として「大人」になっていく以上、自立していかなければならないことは当然のことだ。
でもそれは、親をはじめとする家族を頼ってはならないとうことではない。
頼れるのであれば頼ればいいし、甘えられるのであれば甘えたっていいと思う。
大切なことは、その前提として、頼り頼られる「家族」という人間関係をちゃんと構築できているかどうかということだと思う。
恐らくは家族に受け入れて貰えなかったのであろう旧友の姿を遠目に見送り、感謝を心に刻むタマ子の後ろ姿に共感した。
そして、「渡辺ペコ」と「ねむようこ」の漫画を愛読するタマ子に、性別を超えて自分自身を重ねずにはいられなかった。