2.「マッドマックスは何日から上映開始よ?」と、父親からメールが入った。
既に上映開始の第一週目だったので、「もう始まっているよ」と返した。
公開間際になって世間の好評がビンビンと伝わってきていたので、映画館に足を運ぶべきだと思ってはいたが、実父から届いたそのメールが劇場鑑賞の“決め手”となったことは間違いなかった。
映画館に映画を観に行くということが日常となったのは、小中学生の頃に父親に連れられて行ったことがきっかけである。ただ時は経ち、父親はめっきり映画館に足を運ぶことは少なくなった。
そんな父親からのそのメールからは、彼らの世代の映画ファンにとって「マッドマックス」がいかに特別なものなのかということを強く感じることができた。
実は、僕は「マッドマックス」を観たことがなかった。
この“最新作”の直接的な元となった「マッドマックス2」は1981年公開。僕自身が生まれた年である。
曲がりなりに“映画ファン”を自負するものとして、「マッドマックス」を観たことがないということは情けない限りだと思う。
今夏(2015年)のエンターテイメント大作事情は、例年以上にリメイク&リブートを含めたシリーズ最新作の色調が濃いラインナップとなっている。
「ターミネーター」「ジュラシックパーク」「ミッション:インポッシブル」etcとそうそうたる顔ぶれの中で、“マッドマックスの最新作”という触れ込みに対しては、正直なところ食指の動きが鈍かった。
その要因としては、ずばり「世代ではない」ということが最たる理由だったと思う。
自分自身が生誕した年前後に公開された映画というものは、新しくもなければ、古過ぎもせず、映画ファンとして遡って干渉するにはとても中途半端なものである。
随分と前置きが長くなってしまったが、この映画に対して言いたいことはただ一つ。
“激アツ”
あまりにチープなことは認めるが、その一言に尽きる。
熱い!熱苦しい!いやもう凄いよ!と言わざるをえない映画の熱量に圧倒される。
終末戦争後の世紀末。荒廃し枯渇した世界に残されたものは、果てしない飢えと、狂気。
留まっても地獄、進んでも地獄、ならばどうする?
常識や倫理観など存在すらしない世界の中で繰り広げられる“生”と“死”の止めどない攻防を、ただただ目の当たりにしたという“感触”。
手放しで絶賛したい。が、“オリジナル世代”であれば、もっともっと楽しめたのではないか?という疑問符が残った。
それは、単に過去作を観たことがあるかないかということではなくて、「マッドマックス」という映画体験が、人生の中に刷り込まれているかどうか。
その“体験”の有無によって、今作の価値は大いに変わるような気がしてならない。
そのことが、映画ファンとして、なんか悔しい。