1.映画のかたちとして、何か問題提起をして、映画の虚構の中で何らかの形で昇華する、といったものがこれまでたくさん作られてきた。登場人物が提起に対する行動を担っているわけだが、あくまで虚構の中の夢芝居と言いたくなるような、いわゆるデキレースを見せているようなものがあるのも確かである。さて、この映画だがそういった型にはまった映画ではない。しかしながら前置きを入れたのは、この映画もそういった類のひとつに数えられると感じるであります。登場人物はそれぞれ負の部分を抱えて生きています。これを問題提起とするとき、何を持って、映画の答えと考えるとき、僕が思うに、祭りのシーン。彼らはただ踊っているだけである。えんえん5分間くらい雨に打たれても、むしろそれを歓迎しているように躍動している。そして映画は終わる。僕の解釈だが河瀬監督は、人間の業に対して、僕ら人間の解決とは何ぞやと考えたときに、純粋な人間のエネルギーへ絶対的な信頼だと考えているのはないでしょうか。彼らが自らの心と向き合い、そして理解し、己を知る、人間を知ることこそが答えだと考えているのではないでしょうか。長々駄文すみません。感じたことを連ねてみました。