1.「恐怖」が東京を破壊し尽くす。
吐き出された熱焔が街を焼き、四方八方に放出された無慈悲な熱線は人類の英知を尽く無に帰していく。
暗闇の中で、「恐怖」それのみが美しく妖しく光を放っている。その光景はまさに「絶望」そのものだった。
その神々しいまでに絶対的な「恐怖」を目の当たりにして、思わず「嗚呼」と心底落胆し、絶望感に沈んだ。
純粋な恐れに只々慄き、心がへし折られそうになりつつ、それと同時に、人智を超えた「恐怖」と「絶望感」に恍惚となっていることに気づいた。
恐怖と絶望の中に、安堵と歓喜が渦巻きつつ、「これがゴジラだ」と、噛み締めるように思った。
これまでのゴジラ映画全28作品(+ハリウッド版2作)総てを鑑賞して、「シン・ゴジラ」を観た。
世界の映画史上においても大傑作である1954年の第一作「ゴジラ」を再鑑賞した時に感じたことは、60年という年月を経ても色褪せない恐怖感の見事さと共に、1954年当時リアルタイムで「ゴジラ」を体感した“日本人”が、等しく各々の胸の内に孕んだであろう「畏怖」に対しての「羨望」だった。
未知なる巨大生物に対しての畏怖、それにより生活が人生が文字通り崩壊していくことに対しての畏怖、そしてその発端は我々人類の所業そのものにあり、突如として繰り広げられているこの大惨事自体が、総てを超越した何ものかによる“戒め”であろうという畏怖。
映画を観終わった後も決して拭い去れなかったであろう「恐怖」と「高揚」が直結した幸福な映画体験を想像して、羨ましくて仕方なかった。
1954年と全く同じ映画体験をすることは、時代も世界も移ろった現在においてもはや不可能だ。
しかし、2016年、60年前と同じ類いの映画体験を出来得る“機会”を、我々日本人はついに得たのだと思う。
それが、この「シン・ゴジラ」という映画なのだと僕は思う。
この映画が、「3.11」そして「福島」を経たからこそ生み出された作品であることは疑う余地もない。
それは、1954年の「ゴジラ」が、「戦争」と「広島・長崎」を経て生まれた背景と重なる。
それは即ち、ゴジラという大怪獣が、人類自らによる“過ち”と“悔恨”の象徴として描き出されていることに他ならないと思う。
ゴジラは、人類(日本人)にとって究極の恐怖と絶望であると同時に、合わせ鏡の如く存在する己の姿そのものだ。
自らの「業」が生み出してしまった「災厄」に、どう対峙するのか。それが、ゴジラ映画にあるべきテーマ性だと思う。
“初代ゴジラ”は、一人の天才科学者が己の命と引き換えに死滅させた。
そして残された人々が、静かになった海を前に、「人類が核実験を続ける限り、第二、第三のゴジラが現れるかもしれない」と警鐘を噛み締めて終幕する。
“シン・ゴジラ”における顛末は、“初代”と似通っているようで、実際は大いに異なる。
前述した通り、60年という年月が経ち、時代と世界が移ろった現在において、同じ帰着に至らないのは当然だと思う。
“初代”に対して逆流するように“シン・ゴジラ”は、一人の天才科学者が己の命と引き換えに誕生させたと言っていい。
そして、対峙せざるを得なくなった危機と恐怖と絶望を、人類自らが乗り越えなければならない対象=現実として真正面から見据え、必ずしもすぐさまそれに完璧に打ち勝つことは出来なくとも、共存し、対峙し続けなければならないという「覚悟」を、映画世界の内外の“日本社会”に、問答無用に植え付けてくる。
外洋へ追い出すこともしない、火山に蓋をして閉じ込めることもしない、そして消し去ることもしない。
1954年「ゴジラ」を含めた全28作のどのゴジラ映画とも異なる終幕。
当然ながらそこには、怪獣映画としての王道的なカタルシスは無い。
「作戦」を成功させた劇中の日本人たちが起こしたアクションは、ただ“一息”をついただけだった。
ただし、この帰着こそが、今、この国で、新しい“ゴジラ映画”が生み出されたことの「真価」だと思える。
「恐怖」の対象が、己の分身そのものである以上、我々は、それを見据え続けるしかない。
劇場公開直後に鑑賞して、ほぼ一ヶ月間、このレビューを纏めることが出来なかった。
その間、他の映画を全く観たいと思えず、通算3度映画館に足を運んだ。こんなことは初めてだった。
それでもまだまだ書き連ねられていないことは多い。きっとこの後もこのレビューは何度も書き換えられることだろう。
「凄い映画だ」
本当はこの一言で充分だ。