2.あれだけ周りを巻き込んだ大胆な「クリニック」をやりながら、その結果の悲劇を受け止めきれず、一切を等閑に付そうとする態度にはがっかりした。作品の出来以前に、アダムスの態度に無責任さと偽善を感じ、感情移入はできなかった。映画にしたための誇張や脚色が、そう感じさせたのだと信じたい。それなのに、この映画に感情移入できる人が多いということに、違和感を持った。◆医療の出発点は心と体を区別しない・できない「癒し」にあったのだろうと思う。しかし、高度に進歩した医療の下では、医者は第一に一流の技術者であることが「主」であって、患者の人間性を受け止める能力は「従」になることはやむを得ない。もちろん、権威主義的で、患者の心を無視するような医者は論外だ。医者には、治療のアウトカムと患者の気持ち比較考量する能力は必要だ。しかし、現代の医療は、クールヘッドをつきつめていくと、ウォームハートが置き去りにされるということが起こりうる。医師に限らず、現代社会の職業性やプロフェッショナリズムは、須くこの課題をつきつけられているが、人間の生死を扱う医師は、やはり特別重いだろう。◆本物のアダムスは、おそらく、そういったことを悩んだのだろうと思う。彼の成績が優秀であったということは、彼が一方で真剣に医学を修得しようとしたということだろうから。しかし、映画の脚色では、その当たりの悩みは皆無だ。医学生がクリニックを開くという暴挙は、アダムスの悩める試行錯誤の賜であったろうが、やはり、きちんと否定されるべきである。そこで起きた悲劇は、その未熟さ故に起こったことである。そこで患者が死んだらどうする?という問いに、なぜ死を恐れるのかと答える傲慢ぶりには愕然とした。アダムスが朗々と語る理想は、映画の脚色とはいえ実に陳腐にうつる。できそこないの新興宗教の教祖となんら変わらない。志が高ければ行為が全て許されるというのは、プロとはいえないし、帝国陸軍と一緒ではないか!◆DVDの字幕は、私でも分かる不適切訳が散見されて、大切なところをかなり意味が違ってくる感じがした。立花隆か誰かが、訂正してあげて下さい。◆ ロビン・ウィリアムスは、イムソムニアとストーカーがベストパフォーマンスである。