1.「こりゃウディ・アレンだな」と思って観ていたら、先にキャロル・ブーケに言われてしまった。出来上がったあとで批評で言われそうなことを先に作中で指摘しといて「もちろん、そのことを踏まえてそれの上を狙った作品なのだよ」と言い訳を用意したよう。喜劇役者はどうしてこう自意識過剰になるのだろう。有名人ならではの不安ということもあるが、他人過剰社会では普遍性を持つ不安か。そっくり男の田舎のあれこれ、有名人が来たというので人だかり、障害の息子に会ってくれ、言われてキャロルが行くと、かわいくない中年男、立ち上がる奇跡、主よみもとに近づかんの合唱、このあたりはなかなか。ただ終わりがダラダラして、うまい着地点をつかみ損なったよう。フランス映画頑張れというメッセージになって、しらける。