16.80年代のデヴィッド・リンチというと、イレイザーヘッドとは似ても似つかぬ「エレファント・マン」で誤って注目されてしまい、この「砂の惑星」で大コケしてホサれるも、「ブルーベルベット」でようやく本来の姿に戻って持ち直した、ってな印象だったんですけれど、ブルーベルベットは2年後ですから、別にホサれた訳でもなかったんですかね。
いずれにせよ、こんな企画を彼に、渡す方が悪いと思うんですけどね、とにかく、語り草になりうる珍品には仕上がりました。多額の製作費を湯水のようにバラ撒きながら、趣味の悪さとワケのわからなさで独自路線を突き進む、というか、我々を置いてきぼりにする、この作風。こういうのはテリー・ギリアムにしか許されないもんだと思うんですけどね(←別に誰も許してないって?)。
最初の方に出てくる睾丸のバケモノみたいなヤツからして、「悪趣味に作ってやるぜ!」という意気込みが大いに感じられますが、その一方で、主役のカイル・マクラクランは、なんとも王子様チックな雰囲気。対照的と言えば対照的、場違いと言えば場違い。
で、この作品、全体的にセリフが棒読み的で、基本的にあまり感情の起伏みたいなものが感じられないんですね。むやみに挿入される淡々とした独白が、さらにその起伏の乏しさに輪をかけます。
さらに、SF活劇とは大きく異なるのが、登場人物たちの動きの少なさ。例えばハン・ソロを演じるハリソン・フォードなんて、およそムダな動きばかりしている印象があるんですけどね(あくまで印象ですよ!)。そういう意味じゃ、本作に出てくるヒトたちは誰も活躍らしい活躍をせず、それが独特の雰囲気になってます。最後の対決シーンまで、いまいち動きが悪い・・・。
などといった辺りは、本作ならではのテイストにはなっているんですけどね。
ただ、本作のもっとも珍品らしいところはやっぱり、終盤の、いかにも収集がつかなくなったような、バラバラな感じ。続編映画の冒頭に「前作のあらすじ」が置かれるかのように、本作の場合は終わりの方が「作られなかった続編のあらすじ」みたいなダイジェストっぽい構成になってて、これはさすがにお粗末と言わざるを得ません。ってか、この状態の本作を、デヴィッド・リンチ本人だってあまり褒めて欲しくないのでは。
でもあの、サンドワームを颯爽と(?)乗りこなすシーンなんて、少しフラッシュゴードン魂が注入されてる気がして、これはこれで一種の見どころ、ですな。