2.とても真っ当に「豪華絢爛」な映画だったと思う。
豪勢に作り込まれた列車内の美術や調度品、雪原を突き進む急行列車の雄大な風景、そして昨今ではなかなか見られない“オールスターキャスト”。
それらの娯楽要素がこの映画企画の中核であることは間違いなく、求められるクオリティでしっかりと仕上げてみせている。監督&主演を担ったケネス・ブラナーは、映画人として、相変わらず堅実な仕事を全うしている。
アガサ・クリスティの原作「オリエント急行の殺人」は、過去何度も映像化されたミステリーの古典であり、その知名度の高さは言わずもがな。必然的に、ミステリーの要である「真相」も既に世界中に流布されている。
普通ならば、オチが知れ渡っているミステリー映画を何度も観たいとは思わない。
それでもこの推理小説が何度も映像化されるのは、描き出される人間の群像の中心に、唯一無二のドラマ性が存在するからだろう。
僕自身が「オリエント急行の殺人」の映像化作品を観たのは、本作で4作目。
1974年のシドニー・ルメット監督作版、2010年のデヴィッド・スーシェ主演のイギリスのテレビドラマ版、そして三谷幸喜脚本による日本を舞台にしたスペシャルドラマ版(2015年)に続く、4度目の「オリエント急行殺人事件」となる。
本作も含めて、どの作品ともとても楽しんで鑑賞することができたことからも、僕自身この物語自体が大好きなのだろうと思う。(恥ずかしながら原作は未読なので、今更だけども小説も読んでみようと思う)
そして、入れ代わり立ち代わり描き出される群像劇こそが肝の物語の特性であることが、オールスター映画として仕立てやすく、そもそもセレブリティを対象にした急行列車が舞台であることも相まって、「豪華」な映画世界を構築しやすいことも、この作品が映像作品として幾度も製作される要因だろう。
本作は、幾つかのキャラクター設定や人種設定の変更はあったものの、基本的には過去の映像化作品から大きく逸脱するものではなかった。
悪い言い方をすれば、斬新さというものは皆無と言ってよく、今の時代にリメイクされることの意義を問われることも致し方無いとは思う。
ただ敢えてオーソドックスにリメイクされることが、映画史の文脈において価値があることもあり、本作はまさにそういう類の作品だとも思う。
是非はともかくとして、監督も務める映画人が新たなエルキュール・ポアロを自ら体現し、ハリウッドきっての個性派のスター俳優が憎しみの象徴となる悪役を演じ、新旧の名女優たちが顔を揃えて世界一有名なミステリーを彩る構図は、ただそれだけでも確固たるエンターテイメントだったと思える。
過去の映像化作品と比較して、No.1ポワロは誰だとか、あの役はあの俳優の演技のほうが良かったなどと言い合うこともまた映画を楽しむことの一つだと思うのだ。
オーソドックスではあるものの、一つ一つのシーンやカットはとても丁寧に作り込まれていて、ケネス・ブラナーらしい様式美に溢れていた。
窓ガラスの縁でダブる乗客の表情や、「最後の晩餐」を思わせる横並びのカットで審判を受ける乗客たちの構図など、意欲的な画作りは交換が持てたし、本作が持つ味わい深さだと思う。
僕自身、改めて過去作を見返して、それぞれの「オリエント急行の殺人」を堪能してみようと思う。