3.夫婦の倦怠を描いた『めし』『夫婦』に続くこの『妻』は前のニ作以上に救いの無いところまで夫婦の溝が深まっている。冒頭の心情の語りで惰性の夫婦を暴露した二人は結婚十年目。お互いが現状に不満を抱きながらもけして自ら打破しようとはしない。二人ともこの憂鬱な現状の責任は相手にあると確信しているのである。そこに夫婦というカタチが壊れていこうとするきっかけとなる事が起こる。夫が動いたわけなのですが、打破するために動いたのではなく逃げただけ。そこで妻も動くがこれまた現状打破のためではなく己の保身に動いただけ。結果、夫婦というカタチだけが残って夫婦たる機能は崩壊する。「妻」とはいったいなんなのか。夫婦というシステムの中の一端であることは間違いない。この映画はそのシステムの中に組み込まれることだけに安住してしまった女の悲劇を描いている。自ら悲劇を助長していることに気づかない女が痛々しい。そして相変わらず成瀬映画の男は情けなく、その情けなさがリアルすぎて見てらんない。