2.正真正銘の、子供のための、子供向け映画。
8歳の長女と5歳の長男は、共に“すみっコぐらし”が大好きで、家の中には文房具から衣服に至るまで同キャラクター商品で溢れている。
絵本やアニメを原作とするストーリーに帰属しないタイプのキャラクターなので、長編映画化と言われても当然ながらピンとこなくて、特に子どもたちを映画鑑賞に誘う気も起きなかったのだが、伝え聞く巷の評価が想定外に高く驚いた。
「おじさんでも泣ける」という類の寸評も見受けられ、流石に気になり、わが子たちも当然観たいと言うので、ドライブがてらわざわざ車で1時間の隣町まで観に行った。
映画は全編通して井ノ原快彦と本上まなみによるナレーションベースで展開し、キャラクターたちは一切セリフを発しない。
子供向けアニメーションとしてその話法はなかなか思い切っていると思うが、このキャラクターたちの性質を踏まえるととても賢明だったと思う。
“すみっコぐらし”は、この世界の片隅でひっそりとこっそりと佇む様そのものを愛でるキャラクターであり、下手にキャラクターにペラペラと喋らせて必要以上の「主張」をさせることは、貫くべきイメージを大いに損なうことに繋がったかもしれない。
落ち着いたナレーションで、過剰に盛り上げることなく、朴訥とストーリー展開させてみせたことが、このキャラクターたちの愛らしさを最大限保持していると思う。
ストーリー展開と言ったが、この映画に、大人向けの物語性があるわけではない。
展開されるのは、あくまでも、子供のための子供向けの物語だ。もちろん、子供向けの映画なのだから、それでいい。
彼らが愛してやまない愛くるしいキャラクターたちが、古今東西のおとぎ話をなぞり、ゆるーくストーリーを紡いでいく。
そして、只々“ほっこり”とした時間が流れすぎていく。
「大人が見ても泣ける」などという理屈なんて本来全く必要なくて、ただ純粋に子どもが観て、楽しむべき映画だろうと思う。
確かに「泣ける」ことは間違いない。わが子を横にしてラストシーンでは涙腺が緩みっぱなしだった。
ただ、大人がそういうふうに感動することは、この映画にとって二の次の価値であり、本当はどうでもいいことだと思う。
大人が感動しようがしまいが、その点においては、この映画の価値は揺るがない。