15.溝口健二監督の映画は三本目。前に見たのが「雨月物語」と「近松物語」という日本が世界に誇る名作二本で実際にとても素晴らしい作品だったのでこの作品には少々不安もあった。確かに「雨月」や「近松」には及ばないと思うところもあるもののこれもやっぱり名作だと思う。宮川一夫が撮影担当でない作品は初めてだったのだが、やっぱり撮影監督が違ってもこの監督の作り出す映像はとても美しく、つい見入ってしまった。主演の山田五十鈴が当時19歳と若く、後年の黒澤作品などで見せる凄みのある演技とはまた違った初々しい演技を見せているのがとても印象的だった。 【イニシャルK】さん [CS・衛星(邦画)] 8点(2020-05-07 10:47:32) |
14.祇園に生きる対照的な姉妹の姿を、解説によると内務省から「けしからん」と言われたほどのリアリズムで描く。「女を描かせたら右に出る者なし」とかいう溝口監督だけあって、女の悲哀と強さが見事に表現されている。1936年を再現ではなく、本物で感じられる点においても価値があるかと。何より10代の山田五十鈴を見ることができて嬉しい。この頃から既に上手い女優だったのね。 【リーム555】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2013-10-04 18:31:28) |
13.性格の異なる祇園の姉妹に関わる周りの人間たちの生活模様が面白いほどリアルに描かれています。山田五十鈴の'おもちゃ'最高!! 【白い男】さん [CS・衛星(邦画)] 9点(2012-05-10 14:04:05) |
12.この時代にこれだけの表現力で描写したのは凄い。さらに当時の風景、時代背景を残す歴史的資料としても貴重。安っぽいシナリオだと最後にもうちょっとドラマを入れて見るものにウソっぽい感動を与えて終わりとするのだろうが、この映画では、姉、妹のそれぞれの憤りで終わらせており、その救いようのなさがより物語にリアル感を与えている。姉、妹のどっちの立場が正しいのかと考えながら見続けるうちに、結局、男社会の身勝手さが一番の問題であることが、このラストからひしひしと伝わってくる。現代社会に置き換えても充分成り立つシナリオだと思う。安易にホストクラブやキャバクラを華やかな世界に見せるような現代社会こそ、このような映画を見て反省すべきだと思う。 【nobo7】さん [CS・衛星(邦画)] 6点(2012-02-05 13:41:37) |
11.2012.01/25 鑑賞。まず監督は別として助監督が森一生、脚本が依田義賢に驚く。そして山田五十鈴の若さ美しさ、進藤英太郎のスマートさにビックリ。あとは余り知らない昭和11年作品。 モノクロ映像の上手さ、でも室内暗すぎる、音声聞き取りにくい(この時代では仕方ないが・・) ・台詞のリアリティさには驚く・姉妹の生き様考え方の対比が素晴らしい(男は大半が姉派・・) ・男の色好み、身勝手さ、後ろめたさが会話、振る舞いで見事に表現・全く知らない祇園の世界の明と暗等等を笑いと人情のきびを通して魅せる。地味だが素晴らしい作品。これが75年前の作品とは驚き!!! 【ご自由さん】さん [CS・衛星(邦画)] 9点(2012-01-25 14:07:32) |
【ホットチョコレート】さん [ビデオ(邦画)] 6点(2012-01-21 22:25:25) |
9.30年代の映画ってあまり見る機会がないので興味はあったのですが・・・すみません。誰が何のために何をしようとしているのか、一部しか分かりませんでした。 【Olias】さん [CS・衛星(邦画)] 3点(2012-01-17 01:37:52) |
|
8.おもちゃは、男に負けんと封建社会に声高に物申しておりますが、鼻白むばかりでした。自らの意志でその職に就き、口先だけペラペラペラペラ、人の心を平気で裏切って踏みにじる、裏切られるのがボンクラだとばかりに居直る。これの何処が女の強さなのか。ラストで悔しさに喚き散らすおもちゃの傍らで悲しみに耐えている梅吉にこそ、女性の、人間としての真の強さを感じました。時代に関わらない、芸妓で有る無しに関わらない、男女関わらない、人の有りようを考えさせられる幕切れが象徴する姉妹の生き様を見せてもらいました。 |
7.戦前の京都の街並みが見れて興味深い。レストランのシーンなんかも出てくるが、当時にしてみればかなりハイカラだったんだろうな。女学校出の現代娘(当時の)を演じた山田五十鈴が若く、それを見るだけでも値打ちがある。溝口作品はだらだら長く感じることもあるが、これはわりと見やすかった印象がある。 【きーとん】さん [DVD(邦画)] 7点(2010-07-20 00:31:40) |
6.溝口は、他の日本の名監督たちに比べてユーモアが苦手、って印象があるが、でもこれなんか傑作コメディだと思うよ。だいたい映画の本なんかだと、ラストの山田五十鈴を重視して、社会派のリアリズム映画に分類してしまってるんだけど、どっちかっていうとラストを観なかったことにして、コメディと分類したほうがスッキリするんじゃないかな。それぐらい志賀廼家弁慶と新藤英太郎が傑作で、男どもの卑小さを描いて傑出しているだけでなく、そこに上方文化の伝統にのっとった「愚かという徳」をも感じさせるあたりが、実に見応えがある(旦那が義太夫うなりながら乳母車をあやしてるとことか)。このユーモアセンスが監督の作品歴でもっと活かされても良かったんじゃないか、と私なんかは思う。それと上方女のキッパリ感を出した山田五十鈴の凄味、ラストでやや縮こまってしまう印象はあるがこれも見応え十分。どういういきさつがあるんだか知らないけど、戦後に溝口と山田が一緒の仕事をしなかったのは、日本文化における重大な損失だったと思う。 【なんのかんの】さん [映画館(邦画)] 8点(2009-12-22 12:04:52) |
5.溝口の初期傑作として有名だが、個人的にはまあまあといったところであった。 初期作品の中では『残菊物語』がベスト。 【にじばぶ】さん [ビデオ(字幕)] 7点(2007-09-22 15:34:44) |
4.溝口健二の作品の中ではテンポが良い作品。進藤英太郎と山田五十鈴のやり取りにはゲラゲラ笑いました。対称的な二人の女性とその回りで京都の男達、これらの人間像が深く描写されているので、今観ても楽しいのだと思います。 【サーファローザ】さん [映画館(邦画)] 9点(2007-09-03 12:02:56) |
3.溝口作品はどの話もとても判り易いと改めて感じた。なんだろう時代はやっぱり古いのだが時代を感じさせないというか、逆に新しさを感じたりもする。カメラワークなどERのようである。そして流れるような自然な演技も凄い。役者とはこういうものか。本物の祇園の芸子のよう。そう、祇園の町の情景といいドキュメンタリーといっても言いぐらい。でも、こんなに凄い溝口作品の数々をどれだけの人が知り、そして見ているのだろうか。このサイトの役割は大きそうだ。 【カリプソ】さん [映画館(邦画)] 8点(2007-05-02 00:41:59) |
2.溝口健二監督という人は本当に女を描くのが上手いと改めて思った。芸者の世界に生きる一人の女の世界をこうまでして、力強く描く。流石です。芸者に生きる者でも単なる芸者としてでなく、一人の人間として、きちんと描いている。感心させられます。溝口健二監督らしい構図の美しさ、画面構成の巧みさ、溝口健二監督が一流の監督と言われる要員の一つにある構図の見事さとリアリズム、これぞ溝口映画の基本だとこの映画の中でも感じることが出来ます。話としてはかなり古い気がするものの、それでもやはりこの作品の完成度の高さは役者の演技とその演技を映し出すカメラワークとによって見応えのある作品として観ることが出来るし、どのシーンにしても今の日本映画には見習って欲しいと思うほどの美しさと力強さがあります。それにしてもこれだけの愛憎劇の中で見せる当時、若干19歳の山田五十鈴の演技の素晴らしさ、美しさが光ります。 【青観】さん [CS・衛星(邦画)] 8点(2006-08-31 19:39:02) (良:1票) |
1.場面のほとんどが縦の構図を狙った引きのショットから始まり、そのまま長回しでワンシーンを丸ごと収め終わったかと思うと、今度はゆっくりと横移動を始め、さらに別のお芝居がフレームに入ってくる。『浪華悲歌』(36)と同様に、全編に渡る「引きの長回し」がとても素晴らしく、キャメラワークはまさしく逸品です。後の『残菊物語』(39)と比べると、多少、人物の動き(出入り)が少ない分、舞台的に映っている感もありますが、それでも引きで固定されたキャメラが、人物の動きにあわせておもむろに横移動しだす瞬間はまさに芸術。溝口作品を観る楽しみの一つはこの横移動の美しさであって、少々大げさかもしれませんが、これを観るだけでも十分価値があるのではないかと思います。有名なラストのおもちゃの絶叫シーンも、それまで引きの画に終止し、横移動を繰り返していたキャメラが最後の最後でいきなり縦に前進移動するからこそ、凄みがあります。それまで客観的な視点をもっていたキャメラがまるで魂を吹き込まれたかのように突然前進してとらえる急転直下のクローズアップ。静寂を打ち破るかのようなこの主観ショットは、クローズアップとはこう使うのですよ、というお手本であると同時に究極のリアリズム表現。それにしても溝口監督の描く男の姿とはなんと愚かで、情けないのでしょう。おもちゃが次々と男を騙していくところなどは、滑稽に、いわば喜劇として描かれていますが、こんな馬鹿げた男たちにでさえ、最後には打ちのめされてしまうという、女の現実がほんとうに切実で胸が詰まる思いがします。ただ、そうは言っても、おもちゃの悲鳴の中には、「男になんか負けるものか」という、「女の強さ」も確かに感じ取れます。いや、むしろあのラストの主観ショット。あれは敗者に対する演出では断じてないでしょう。溝口監督が描きたかったのは「女の悲劇」ではなく「女の強さ」の方であったに違いないのです。おもちゃも梅吉も最後まで自分の信念を決してかえようとはしない。そして、この映画において、封建的な社会に対して一撃を加えるのは女性。小津に「おれには創れない」と言わしめた本作ですが、おそらく小津に描けないと感じさせたのは、全編を通して感じられるこの凄まじいほどの「女の強さ」ではなかったか、と思います。溝口の代表作とする人も多い傑作です。 【スロウボート】さん 9点(2004-02-24 23:57:29) (良:2票) |